月明かりの中の拭き掃除
外がまだ暗い時間に目が覚めた。部屋の中が少し明るい。月明かりだ。中秋の名月のようにはいかないが、ほぼ満月のそれはとてもきれいだ。
あの月にうさぎが住んでいると一番最初に言った人は想像力が豊かだったのだと思う。それとも吸ってはいけない煙でも吸っていたのだろうか。
部屋の中が暗い時には、そのわずかな月明かりで部屋は少し明るくなる。部屋の電気を付けた瞬間、月明かりは闇に消える。
人もまた同じ。自分が暗く落ち込んでいるときは、他人からのわずかなやさしさもありがたく思う。自分がやる気に満ち溢れ、我こそが正義だと信じ込んでいるときは、そんなわずかなやさしさなどには気づかない。
月明かりが自分を照らしていることさえ気づくことはないし、照らしてくれる月が存在することに気づきもしない。
拭き掃除の途中に、棚の上に焼け焦げた跡が輪っかになって残っているのに気がついた。あー、昨日、ここに土鍋置いたときにやっちゃったか。そんな熱くなかったはずたけどな、あの土鍋。
「うーん、しまった、しまった」
しばらく昨日の自分を悔やんでいた。といっても5分くらいで、拭き掃除をしている途中に、「ま、悔やんでもしかたがない。」と開き直った。
長い人生においてたいしたことではない。焼けた跡が残っても、それで死ぬわけでもないし、極貧生活にまっさかさまなんてこともない。サンドペーパーで磨いて、ワックスでも塗り直せば元に戻るはずだけど、面倒だからそこまではしない。
せめてもの救いにその棚を毎日磨いてあげることにしよう。
潔癖症芸能人をテレビで見たことがある。本当に潔癖症なのか、そういうキャラを演じているのか。そんな人を見て、「そこまでするのかー。病的だな」と思っていたのだが、最近自分がそれに近づきつつある。
毎朝、拭き掃除をしていると、床などは常にきれいな状態なのでそこを拭いても物足りなくなってくる。結果、平日の朝から窓ガラスやサッシ、窓枠のゴムの部分など目に付くところをこれでもかとばかりに拭いて回っている。
誰にも迷惑をかけるものではなし、むしろきれいになって歓迎されるはずの行為ではあるが、傍からその姿を見ていると少し異常かもしれないと思う。
冬になって水の冷たさが一段と身に沁みるようになってきた。それもまた心地よい。最初は冷たいが、そのうち蛇口から出てくる水は若干温かみを帯びてくる。
昨日の夜、沸かした給湯器のおかげだろう。それだけの暖かさにも心地よさを感じる。水は冷たくても温かくても心地よい。拭き掃除のおかげでそんなことにも気づくことができたのである。