ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

「市川中車 46歳の新参者」を読んでの感想

市川中車

九代目市川中車の襲名時に出版されたのが本書です。俳優名は香川照之。父は二代目市川猿翁。母は元宝塚歌劇団の浜木綿子。三代目市川猿之助は従弟にあたる。市川團子は中車の長男で同時期に歌舞伎界入りした。

 

こう書けば歌舞伎の御曹司のように思えるが、両親が離婚したことにより四十年以上歌舞伎界とは無縁の生活を送ることになる。父と一度も顔を合わせたことがなかった彼は、ある日突然歌舞伎公演中の父の楽屋を訪れる。

 

「わたしはあなたの父親ではない。よって、あなたはわたしの息子ではない」

 

期待していた言葉とは全く正反対の言葉を投げ掛けられたのだと思う。それが彼の人生に多きな影響を与える。

 

普通の子どもであれば、そんなことを言われたら、親に反抗し、その人生を台無しにしてしまうのであろうが、彼はそうではなかった。歌舞伎に執着した。血とはなにかを常に考えた。

 

長男が生まれたときから、彼を歌舞伎役者にすることにこだわった。踊りを習わせ歌舞伎の基礎を身に付けさせた。息子を歌舞伎役者にすることが第一で、それがきっかけで自身も歌舞伎役者になった。

 

息子團子はさいわいにして歌舞伎が好きだった。それは今までの彼の演技をみてもわかる。実にうまい。お父さんよりもうまい。

 

二代目市川猿翁も同時期に襲名した。襲名したというよりも猿之助の大名跡を譲ったという形だ。初代猿翁はその名前で舞台を踏んだことはおろか、化粧さえもせずに亡くなったらしい。だから猿翁は隠居名といわれていたのだ。

 

僕は二代目猿翁としての舞台を一度だけ拝見したことがある。2013年1月の大阪松竹座。元日昼の部。演目は楼門五三桐(さんもんごさんのきり)。石川五右衛門を中車、真柴久吉を猿翁が演じた。親子共演だった。

 

「絶景かな、絶景かな」という五右衛門の名台詞。このたった一言が全く歌舞伎になっていなかった。あれだけキャリアのある俳優でも歌舞伎の世界では通用しないのだ。

 

久しぶりにお目にかかる猿翁の姿に鳥肌がたった。パーキンソン病の影響でろれつは回らず、立っているのも精一杯という感じであったが、あの目力とオーラは凄かった。

 

猿翁は体調が思わしくなかったようで、翌日から舞台に立つことはなかった。大阪で親子共演が実現できたのは、僕が観劇した元日の一日だけだったようだ。

 

中車のパワーは凄まじい。襲名当初は演じていることに精一杯という感じだった。全く歌舞伎になっておらず痛々しいくらい。それが日を追うにつれ歌舞伎に近づいているのだ。

 

なにをどうしたら歌舞伎になるのか。テクニックではないのだと思う。説明できるようなものではないのだと思う。その空気。間。視線。指先。足さばき。どれかひとつを意識すれば全体のバランスが悪くなるはず。自然に芝居に溶け込む。歌舞伎に溶け込む。そんな感じ。

 

「なにをド素人が語ってやがる」って思われそうだけど、これが僕の感想。全然、本の感想になってないね。