ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

ブログをはじめて、考える毎日を手に入れた

ブログ論

漠然とした不安って誰もが抱えてるんだと思うんですね。このブログをはじめるときに「これをきっかけになにかがかわればいい」という思いがありました。と、同時にブログの記事を毎日更新したところで「なにもかわりはしないよ」という思いもありました。

  

わたしは変わることを恐れています。今がそれなりに安定しているからです。でも、この安定に保証なんてありません。実際、今勤めてる会社だって、3年後はどうなっているかわかりません。だからといってやめる勇気もないし、やめてどーすんだっていう気持ちもあります。

 

わかってます。現状維持はマイナスだってことは。でも、一歩進んだ先がプラスになる保証もどこにもありません。リスクは負いたくないけど、なにか変えたいという思いが、ブログをはじめたきっけのひとつだったわけです。

 

企業に入社すると、自己紹介ってしますよね?そこで自分はこう言ったんです。

 

「あまり積極的でない自分を変えていきたい」

 

全員の自己紹介が終わったときに、会社の人が「今、自分を変えたいという人がいましたね」とわたしの発言に触ふれてくれました。その言葉のあとに続く言葉は覚えていません。だけど、わたしの発言が会社の人に届いたことが印象に残り、今でもよく覚えています。

 

当時のわたしにそこまでの強い思いがあったのかは覚えていません。何気なく発言したのかもしれません。しかし、その自分の言葉を今日まで覚えているということは、なにかしら変えたいという思いが根底にあるのでしょう。

 

根底にありながらも、安定と比較し、今日まできました。それが正解なのか別の道があったのかなんてわかりません。結局、どれかひとつの道しか歩けないわけですから。まっすぐ歩くか、右に曲がるか、左に曲がるか。いずれにせよ一本道です。いやおうなしに時間が後押ししますから、来た道を引き返すこともできません。

 

だから悩むんですよね。今が楽しければ正解でしょうか?老後のことまで考えて、貯蓄しておくのが正解でしょうか?なにが正解か誰も教えてくれません。振り返ってはじめてわかることです。ブログをはじめて変わったことがあります。「毎日ブログを書くようになったということです。当たり前ですよね。

 

ブログを書くということは「毎日なにかを考えている」ということです。どうでもいいような記事でも、それなりに考えないと記事になりません。考えていると、自分でも思いもしなかった記事になることがあります。他の人にはわからない自分だけの新しい発見です。

 

人はそう簡単には変われないですね。劇的には変わらない。年齢を重ねれば重ねるほど、それは困難になっていきます。それまでの自分の生き方を否定することになるからです。なにかやらなければ、人はかわることはできない。その小さな小さな一歩がわたしにとってはこのブログだったというだけのことです。