ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

ブログ開始から二カ月、その思い。固定観念の打破

ブログ

ブログをはじめてから、ようやく二カ月が経った。アクセス数は相変わらず微妙な感じだけど、100記事を超えた辺りから、若干、底上げしてきたようにも思える。

 

そこあげ【底上げ】
一番低い部分を引き上げることによって全体の水準を高めること。

 

言葉の意味を知る

言葉の意味って、知っているようで実はよく知らない。正確に説明せよと問われると、戸惑うことも多い。だから、少しでも疑問に思ったら、こうやって調べることにしている。調べてみると言葉の意味を間違えていることも多々ある。

 

「調べ物するのだったら、やっぱ紙の辞書引かなきゃ。頭の中にはいらないよ。」という意見を聞くことがある。確かに一理あると思う。だけども、いちいち辞書引くのは面倒なのだ。それに時間はもかかる。分厚い辞書は場所をとる。重い。それに比べネットは実に便利だ。時間もたいしてかからない。スマホさえあればいいので、場所もとらない。その手軽さで、ちょっと気になる言葉をどんどん調べることができる。手軽さは僕にとって大事だ。

 

大事なのは結果であって

調べるためのツールなんてなんでもいいわけで、大切なのは「気になる言葉があれば調べる」という行動なのだと思う。辞書を引くことにこだわる人って、「わたしはずっとこうしてきたんだから、それがいいに決まってるじゃないの。」っていう固定概念の押しつけのような気がしている。手段にこだわるのって実に意味がない。

 

二ヶ月目の思い

今日はブログをはじめて二カ月が経ったので、その思いを語ろうとしていた。この二か月で変わったことは、よく考えるようになったということだ。特に固定観念の打破について考えることが多い。固定観念は、またの名を惰性という。ホントかどうかは知らない。

 

固定観念
容易に外からの影響を受けて変化しない固着した考え方のこと。

惰性
今まで続いてきた習慣や癖。

 

固定概念はあやまり

ちなみに固定概念という言葉は誤りらしい。概念という意味は一般的・普遍的な考えということなので、あえて固定という言葉をつける必要がないのだそうだ。いわゆる二重表現。最後のラストシーンとか必ず必要とかと同じ類の使い方ってことだ。

 

概念→一般論
観念→個人的な考え

 

柔軟に考える

考え方に柔軟性がなくなると、面倒な人間になるような気がしている。それによってムダも生じる。世の中はどんどん変わっていくのだから、それに伴って考え方も変えていくべきだと僕は思っている。惰性で生きていると、自分だけ取り残されてしまい、世間とのギャップが生じる。頑固おやじは、はたから見ると変わり者でやっかいな存在なのだ。

 

そうならないように、固定観念にとらわれず、常に柔軟に考える。ブログをはじめて二カ月でそんな生活を心がけるようになった。我ながらいい心がけだと思う。

 

 ついでに一ヶ月目の思いもどーぞ。