ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

ブログのネタをメモしない理由

メモ

ふとした瞬間にブログのネタが浮かぶことがある。以前の僕はせっかく浮かんだそれをのがすまいとスマホにメモをしていた。ときには下書きに箇条書きにしたり。

 

もちろんそこから記事にしたものもあったが、その大半は削除していた。下書きにメモをしたことに満足して、それ以上のブログネタにならないのだ。下書きで寝かせすぎて、その旬を逃してしまうことにもなりかねない。

 

なかには何を書きたかったのかがよくわからないような下書きもある。短い下書きの文書から話が膨らまない。どう頑張っても面白くならない。ツイッターのつぶやきレベルで終わってしまうのだ。ブログにしたいのなら、せめて1000文字以上の記事にしたいところ。

 

メモしたことによる安心感。それで僕はそれ以上のことを考えるのをやめってしまっているのだと思う。

 

思考停止状態。

 

話がふくらまないわけだ。メモをしないと忘れてしまうくらいの出来事は所詮その程度の出来事。忘れてしまってもいいような出来事なのだ。

 

記事にできそうな出来事であれば、いつまでも頭の片すみにその出来事が記憶できているはず。そんな記憶たちが頭の中で蓄積されていく。

 

記憶と記憶は結びつき、新しい記憶となる。そうやって話は膨らんでいく。膨らんだ話を記事にする。メモをするという手段は僕にとって有効ではなかった。

 

メモをするということを教え込まれたのは会社に入ってから。「とにかくメモをとりなさい」と。

 

その影響からかメモを取ること自体が目的になってしまってロクに人の話を聞こうとしない人がいる。一瞬の言葉も逃さないように懸命。余裕がないんだね。

 

そのこと自体は悪くはない。だけども完全に受け身の状態になっているから自分で考えようとしない。意見しようともしない。まさに僕がブログのネタをメモっていた時のような状態。それ以上、考えられなくなっている。

 

僕はその場ではあまりメモを取らない。覚えられない情報以外はメモを取らない。例えば、数値や日付、はじめて聞いた言葉など。それをササッとメモる程度だ。はじめて聞いた言葉はそのメモを頼りにあとで調べる。

 

会話って言葉のやりとりだけじゃないと思う。その人の表情や雰囲気。そういうことを感じて、この人はどの情報を重要視しているかを読み取る。言葉を鵜呑みにしない。発せられた言葉が全て正しいとは限らない。「あ、今なにかを誤魔化したな」うついてメモを取ることに必至だとそういうことに気が付けない。

 

メモをするのは人の話を聞き終わってから。記憶なんて明日になれば半分は忘れてしまうから、きちんと書き留めておく。あとからそういう作業をすれば、丁寧にまとめることができる。「聞いた事実」と「自分の考え」を整理してメモとして残しておくとなお良い。