値段を知って価値を知る
いいものに囲まれて暮らすということができない。とりあえず手元にあるもので使えるものは最後まで使いたい。いいモノにこだわるつもりがないのだ。いま持ってるものはほとんど親から引き継いだものである。古くなって買い替えたものももちろんある。デザインがそこそこ気にいれば購入する。シンプルなデザインが好きなので、おのずと無印良品のモノが増えていく。
江戸八角箸など見て、「いかにも職人こだわりの箸って感じでいいな。」と思うわけだが、一万円近くするそれを購入しようとは思わない。それを買うくらいなら無印の350円の竹箸でいいやと思うのである。だいたいがモノの価値なんてわかっていない人間であるから、ちらっと目に入った値段に影響され、「江戸八角箸は素晴らしい。」と思い込んでいるだけかもしれない。僕は値段を知って価値を知るような人間なのである。
そんな僕がずっと欲しいと思っているものがある。応量器である。ブッダボウルと呼ばれることもあるらしい。漆器で作られているそれはとても美しい。一度だけ百貨店で本物を見たことがある。
「応量器に興味おありなんですか?」
じっと応量器を見つめている怪しげな僕に店員さんが声をかけてくれた。ずっと憧れていて、今日はじめて応量器を見たことを伝える。
「手作りのものなんで、なかなか入荷しないんですよね。入荷されてくること自体が珍しいので。」
そう言いながら、入れ子になっている器を机に並べてくれる。マトリョーシカみたいに同じ形をした大小のものがズラリと並ぶ。指紋がつかないように恐る恐る触らせてもらう。
「洗うのが大変そうですね。」と伝えると、普通の食器と同じように洗剤とスポンジでゴシゴシ洗っても大丈夫だという。ただ、水分はきちんと拭き取った方がいいということであった。今の僕は食器を洗ったあとにそれらを拭くことはない。水切りかごで自然乾燥させている。洗い物はあまり好きではない。きちんと拭かないといけない応量器は少しハードルが高い。
それに他のキッチン用品に比べ、応量器だけがいかにも格式高く浮いてしまう。浮いてしまうと他の食器にいじめられるかもしれない。他の食器に傷つけられた応量器をみて僕は、「高価なモノだったのに、なんてこったい。」と落ち込んでしまうかもしれない。そう考えると、応量器を自分のものにしようだなんて時期尚早なのかもしれない。
母親のモノを整理していたときに、押入れの奥の方から仰々しい箱が見つかった。開けてみると、朱色の酒杯だった。なにかの記念でもらったものなのだろう。
「うわっ、軽っ。」
手にとってみると驚くほど軽い。
「これ、プラスチックやん。」
そう思った僕はなんの迷いもなくゴミ袋に捨てた。思い返せば、あれは漆器でできた酒杯だったのだろうと思う。まあ、あれがなんで捨てたことになんの後悔もないのである。