持ち物を厳選してから手に入れるという考え
昔のモノってシンプルでよく考えられてるなと思います。応量器、やっとこ鍋、手拭い、葛籠など、使いやすくて機能的です。
ミニマムデザイン
扇子も念願かなって購入しました。冒頭の写真がそれです。これも実にミニマムなデザインですよね。持ち歩きにはとても便利です。夏の時期には熱中症とか注意しないといけませんからね。暑さにさからうと大変なことになります。
最近の日本の製品で、例えばテレビなどは4K、5Kと高画質化してますが、需要あるんですかね?これだけスマホとかタブレットとかが普及して、YouTubeなんかで動画見てる人が増えているのにですよ。少なくともわたしにはテレビ自体が必要ないわけですが。
先日、家電量販店に行って、何気なくテレビコーナーも見てみたんですが、高画質で大画面のテレビを見たときに「やっぱりいらない」と思いました。邪魔だし、高額だし、ろくな情報は流れてないし。
どうしてあんなデカイもの作っちゃったんでしょうね?「大きいことはいいことだ」って言ったのは誰ですか?大は小を兼ねるといいますが、大じゃなくても困らないものはたくさんありますね。
モノが巨大化すると、住む家にも広さを求めることになって、それを維持するのにお金が必要になって、モノのために働くはめになります。モノの奴隷みたいでいやですね。
衣食住について
僕には持ち家があるので、「住」に関しては身動きが取れません。「衣食」に関しては自分でコントロールできるので、厳選して持ちたいと思っています。
応量器や葛籠は憧れです。しかし、まだ手に入れてはいません。なぜ自分のモノにしていないか?それが本当に必要なモノかどうかがまだわからないからです。単なる憧れで終わるかもしれない。生活必需品になるかもしれない。モノが厳選できていない自分にとっては、まだ手に入れるべきモノではないと思っています。
高価なものは捨てにくい
高価なモノ買い、それが不要になったときサクッと捨てられるかというとそういうわけにもいきません。どうしても値段のことが頭をよぎります。高価なものほど捨てにくい。これは今までの捨て過程の中で学んできたことです。
<厳選するには、現状把握からはじめましょう>