ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

再考、二度と手に入らないモノへの執着心って捨てられますか?

ゴミ

 ブログタイトルっていつ決めます?記事を書き始める前ですか?それとも書き終えた後ですか?

 

記事を書き終えてタイトルを決める

わたしは後者が圧倒的に多いですね。なぜかというと、気がつくと記事にしようと思っていた内容と違う内容になることが多々あるからです。一応ね、記事書く前は、テーマみたいなものを決めるわけですよ。でもね、気がつくと脱線に脱線を重ね、思ってもみなかったような記事になってしまうんですよ。タイトルと内容が全然違げーし状態です。

 

で、内容に合わせ、タイトルを変更するわけです。あらかじめ決めておいたタイトルは、また別の機会に書くことにするわけですが、またまた内容が脱線するという無限ループです。そのうち、ホントはなにが書きたかったのかなんてわからなくなってしまうというパターンです。わかんなくなるくらいなんで、大した内容じゃなかったんですよ。

 

二度と手に入らないモノへの執着心って捨てられますか?

前回のブログのタイトルを「二度と手に入らないモノへの執着心って捨てられますか?」にしました。これも記事を書き終えたあとにタイトルを決めました。このタイトルに対する再考です。

 

二度と手に入らなくても、捨ててヨシ!ってアッサリ思えるようなら、捨てられますよね。執着心がないからです。絶対、手元に残したいって思えば、捨てないですよね。執着心があるからです。問題なのは中途半端な執着心があるものです。「手放しても問題ないような気がするんだけどなー。でも、二度と手に入らないしなー。」という中途半端な気持ちですね。この場合は、二度と手に入らないということに執着しているわけです。執着しているのはモノではなく、気持ちですね。

 

無理に気持ちに反しない

この気持ちに逆らって、「オレ、ミニマリストだしー。」っていう理由だけで捨てると、後悔します。「あー、捨てちゃったよ。どうしよう。もう手に入らないよ。なんで、捨てちゃったんだろー。」って悩むことになります。モノはないのに執着心がより一層、大きくなってしまうんですね。

 

でも、時間が経てば、その執着心も薄らぎます。捨てたモノのことばかり考えながら、生活しているわけでもないですしね。でも、ふとした瞬間に思いだしてしまうと、また、「あー、捨てちゃったよ。どうしよう。もう手に入らないよ。なんで、捨てちゃったんだろー。」って悩むようになります。これってわたしが未練がましいだけですかね?

 

だから、わたしの場合は、無理して捨てないんですよ。でも、「捨てようかな。捨ててもいいかな。」と考えていると、ふとした瞬間に「イラネー。」と思えるんですよね。不思議なものです。

 


問題なのは、その瞬間がいつくるか?です。そんな瞬間なんてこないかもしれません。ということは、やはり自分にとって、それ大切なモノなんじゃないでしょうか?

 

 <使わなければ捨てようね>