訃報のお付き合いをどこまでするか?葬儀への参加や香典の出し方について
同僚のお母様がお亡くなりになったようで、訃報連絡がまわってきました。こうなると香典や葬儀、御通夜への出席をどうするか?という話になります。
- どの範囲の同僚まで出せばいいのか?
- いくら出せばいいのか?
- 御通夜へは出席するか?
葬儀はたいていの場合は代表者のみが出席します。たいていの場合というのは社員の身内の方が亡くなった場合です。ご両親様やご祖父様、ご祖母様などの場合ですね。
「たいてい」に該当しない場合もあります。ご本人が亡くなった場合です。その場合は上記のことに対して悩むことはありません。僕とご本人に直接の関わりがあるからです。僕にその気持ちがあるからです。
僕が新入社員の頃に父方のおばあちゃんが亡くなりました。そのときの僕の上司が葬儀に参列してくれました。でも、僕はとても不思議に思いました。
「どうして、おばあちゃんのことを知りもしないのに葬儀にきているのだろう?」
おばあちゃんに対する思いがなにもない人間がただ、そこにいる。それにとても違和感を覚えました。
基本的にはこの考え方は今でも変わっていません。別に不幸を共有することはないじゃないか、と思うのです。
大人になってみれば、このときの上司の気持ちもわかります。決まりだから。不幸を見て見ぬふりをして冷たい人だと思われたくないから。僕はこんなふうに考えています。
葬儀にはできるだけ多くの人が参列したほうがいいという考え方もあります。そうしないと故人がかわいそうだから。慕われている人が多くないと思われるのはかわいそうだから。だから数合わせでそこに参加する。やはり気持ちはないのです。
ですので、僕はよほどのことがない限り会社関係の訃報のお付き合いはしないことにしました。
数年前に僕の両親の他界がありました。そのとき僕は会社に対して訃報連絡もまわしてもらわなかったですし、香典もお断りしました。香典を受け取ると出社したときの対応がとても大変だからです。
ひとりひとりにお礼をいってまわるのはもちろんのこと、人によっては四十九日のときも香典返しをする人がいたからです。
会社には両親と関わりのある人などほとんどいないですし、表面上だけでこういう関係を持ちたくないと思いました。
それでも、強制的に香典を渡してこられる人はいました。「それじゃ、いくらなんでもあれだから受け取ってくれ。お礼は必要ないから」と。僕はその言葉を受け止め、香典返しはしませんでした。必要以上にお断りするのも失礼ですからね。
僕は正直、「空気を読んでくれ」と思いました。「気がすまない」というのは結局、僕の気持ちよりも自分の気持ちを優先しているということですから。やはりそこに僕の両親に対する気持ちなどありませんでした。
それから数年後にその人と会話をしたときに僕は唖然とした記憶があります。
「あれ、君のご両親はもういないの?」
まあ、そんなものです。僕の両親が亡くなったことなど記憶にもないのです。香典のやりとりなども全く記憶になかったようです。
僕は両親の他界があったときに、これらをお断りしてよかったなと思っています。人が亡くなると事務的な手続きが非常に多くあり、とても大変だからです。このとき、慶弔休暇として一週間休みを頂きましたが、休息という意味で休める日は一日もなく、むしろ休みが足りないくらいでした。
そんな自分の経験も踏まえて、できるだけ不要なお付き合いは避けたほうがよいと考えるようになったのです。
僕は性格的にすんなりと割り切ることができるのですが、やはり気になる人はいるでしょう。実際、同じ職場にもそういう人はいます。「私の親のときは、ああだった。こうだった」という人が。中途半端に対応するのがいちばんトラブルの元になるように思います。
結局は人間関係の問題なので、対応は難しいですね。だけど人の心は読み取ることはできないので、自分がどうしたいかで判断するのがいいのではと思います。