ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

ワンピース歌舞伎を観てきたのでその感想など

ワンピース歌舞伎

先週末、博多座に行ったという話をしたのは、この記事の通り。あの記事は震災に絡めての話だったので今回は公演内容について記録を残しておきたい。率直な感想は、「想像していたよりも楽しかった。」というもの。

 

そりゃ、今までのスーパー歌舞伎の要素をほぼ取り入れているのだから、楽しいに決まっている。古典歌舞伎の要素を取り入れているのも楽しい。義経千本桜の四ノ切の仕掛け、同じく千本桜の平将門を思わせるいでたち、政岡の名台詞、飛び六方など。

 

ただ四ノ切のあの仕掛けはわかりにくかった。舞台上に人が多すぎた。

 

本公演は三幕ある。二幕目までは三代目猿之助が作り上げてきたスーパー歌舞伎の世界とは異なる雰囲気があった。

 

しかし、三幕目になると雰囲気は一変。いかにもスーパー歌舞伎らしい雰囲気となる。市川右近が出てきたからだろうか。右近が「いかにも歌舞伎」な台詞回しだったからだろうか。

 

二十一世紀歌舞伎組で行った「水滸伝」を思わせる雰囲気もある。僕はやはり三部目の雰囲気が好きだが、今回のワンピースでそれをやっても成功はしなかったはず。ただただ重い感じの舞台になっていたはずだ。

 

あの演出は三代目のセンスがあったからそこ成り立つもの。四代目はそれをそっくり引き継げばいいというものではない。

 

三代目のスーパー歌舞伎には核となるテーマが常にあった。新三国志であれば「夢見る力」ヤマトタケルであれば「天翔ける心」今回はなんだったのだろうか?きっと友情とかそういうものだとは思うが、それがもっと明確になっていればよかった。

 

僕は三代目猿之助が好きだったので、どうしてもそれと比べてしまう。あの方の美的センスは抜群だったのだと改めて思う。今回の舞台演出や衣装もスーパー歌舞伎っぽいそれではあったのだが、どこか垢抜けない。色が多すぎる。ニューカマーランドの場面はあえてそうしたのだろうけれど、それにしたってもう少し品というものを感じたかった。

 

こうやってついついなにかと比べてしまうのはよくない。あれだけの新しい歌舞伎を作り上げたことは凄いと思う。古典にこだわる必要もないし、先代の陰に怯える必要もない。ワンピース歌舞伎は話題にもなったし、新しい客層の開拓もできたようで、それは大成功なのだと思う。

 

歌舞伎を知らない人たちに歌舞伎をもっと知ってもらいたいというのは、三代目猿之助や十八代目中村勘三郎の時代からずっと取り組んできたことだ。それを若い世代はちゃんと引き継いでいる。

 

「型破りというのは、型を知らないと破れない」という勘三郎の言葉は僕の心に残っている。古典だけでもなく、新しいことばかりでもなく、そのバランスの中で「誰もやったことのないようななにか」に挑戦する。パワーのいることだと思う。歌舞伎に対する情熱も必要だ。

 

古典は昔から繰り返し上演されてきたその中で洗練されてきた。ワンピース歌舞伎も繰り返し上演し、いずれ古典になったら、それは素晴らしいことだと思う。僕はその古典歌舞伎の原点を体験することができたのだから。