ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

「ひょっとすると」を排除してモノを減らす

部屋

どんどんモノが減っています。なんだか清々しい。執着が自分を鈍重にさせていることに気付かされます。

 

鈍重

動作、反応などがにぶくてのろい感じがすること

 

昨日まで捨てられなかったモノが今日は捨てられます。これが不思議。どうしてあんなモノに執着していたのだろうと自分でも不思議に思うのです。

 

その理由をしいていえば、ひとつひとつに真剣に向き合うことができるようになっているということでしょうか。100個のモノを持っていて、それら全てと向き合うのは大変だけど、それが50個になれば大変さは半分になるから、自然と向き合えるようになる。

 

「僕はこれを持っていてどういう場面で使うのだろうか?」

 

例えば、5つのワイングラスを持っていたとします。僕ひとりでは使わない個数です。ということは誰かが家にきたとき用のワイングラスということになります。要するに「ひょっとすると誰かくるかも」という想定ですね。

 

僕は家に人を呼んでなんとかパーティーをするような人間ではありません。たとえ誰かがくるとなっても「うちにはグラスがないから持ってきて」といえば済むことです。そもそも、そんな場面はこないでしょう。

 

なので僕には5つものワイングラスは必要ないということになります。だから3つは処分しよう!

 

5−3は2つ。手元に2つのワイングラスが残ることになります。ひとつは予備用です。

 

「ひょっとして割れるかもしれないし」

 

また出てきました。「ひょっとして」という言葉。まだ僕は執着しているようです。ひょっとして割れたら新しいものを買えばいい。そもそもそんなに割れない。大切なひとつのワイングラスを割らないように大切に扱えばいいだけの話です。ひとつにすることによって僕の雑さが減る。

 

こんな感じでモノのひとつひとつと向き合っていけば、モノは減ります。執着心も減ります。気持ちが楽になります。

 

僕にとってモノを減らすということは楽に生きるということ。「トランクひとつで生活する」なんて絶対無理だと思っていましたが、ひょっとすると実現可能かもしれません。この場合の「ひょっとすると」はよしとしましょう。