ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

関係性を捨てるということ

捨てる

最近の僕は言葉にすごく敏感になっている。どうしてこの人はわざわざこんなことを言うのだろう?と考えてはしょんぼりすることがある。

 

例えば僕が「あのお店のチーズケーキすごく美味しいよ」という会話をしたとする。「知ってる〜」と答えるか「だよね。美味しいよね」と答えるか。前者は「そんなことあなたに教えてもらわなくても知ってます」と捉えることができるし後者は僕の意見に同意してくれたと捉えることができる。どちらが印象がいいかは言うまでもない。

 

先日、一緒に旅行に行った友達がまさに前者タイプの人間だった。私が上であなたが下。今までも多少はそういったことを感じたこともあったのだが、今回の旅行における友達の対応はひどいものだった。

 

まわりに人がいると身内に対しては冷たくあしらう人っているじゃないですか?「もうやめてよ、お父さん!恥ずかしい」と必要以上に身内を責める人。僕の友達はそんな感じだったんじゃないかと思う。身内でもなんでもないのに。単に付き合いが長いってだけの友達なのに。

 

先日の旅行はツアーだったので、僕ら以外のはじめましての人も6名いたんです。最終的にはすごく仲良くなってすごく楽しい旅だった。

 

「まさかこんな旅になるとは思ってもいなかったです」

 

僕はこんな楽しい旅になるだなんてという意味を込めてそういった。

 

「ボキャブラリー低すぎなんじゃない?」

 

僕の友達はそういった。意味がわからなかった。ボキャブラリー低すぎ?どいうこと?そして僕はみんなの前でどうしてそんなことを言われなきゃいけないの?今でも意味はわからないし、このことを思い出してはモヤモヤする。他にも似たような意味不明エピソードは沢山あるけど、ここに書くのはやめておく。

 

ちょうど昨日、ホリエモンの「捨て本」という本を借りてきた。

 

友達をリセット

 

長く付き合っている友達でも時間経てば話が合わなくなってくることもあるし、考え方が違ってくることもある。付き合いが気まずくなってきたら人間関係も捨てよう!と書かれてあった。そうか、無理して付き合うことはないんだ。

 

確かに僕の中には「せっかくの長い付き合いなんだし」という気持ちがあった。でも、ここ一年くらいモヤモヤした気持ちをごまかしながら友達として付き合っていることが多い。バッサリ切るか。そしたら新しい出会いも生まれるか。事実、別の輪も広がりつつあるし。

 

その人がどうこうというのではなく、自分自身の気持ちの問題としてモヤモヤするのなら、あっさり捨ててもいいかもしれない。

 


捨て本