ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

モノを買い替える生活に反論

買い替え

 

流行のひとつなのだろうと思われるミニマリスト。それ系のブログもずいぶんと増えてきた。ブログ村のミニマリストカテゴリの上位にランクインするブログのポイント獲得数はすごい。ミニマリストなのに「もっと欲しい」という欲が見え隠れする。

 

お気に入りのモノだけで暮らしましょう?

「ワンランク上のモノを持って豊かに暮らしましょう」「お気に入りのモノに囲まれてすてきなシンプルライフをエンジョイしましょう」という考え方がある。

 

ステキだと思う。自分の好きなモノだけに囲まれて暮らすという免疫のない生活。自分に合わないモノは排除すればいい。目の前から消してなくすべき。

 

僕はそいういう生活ができない。使えるモノを捨てて、新しいモノに買い換えるということが。捨てて別のモノを買う。

 

しばらくすると、また別のステキなモノが目に入る。自分の感性もかわってくるだろう。すると、今持っているモノは捨て、また買い替える。

 

まるでSNS。いやなら簡単にブロックできるその仕組み。新しい関係を築けばいい。そんな安直な関係性でいいのだろうか。キリがない。そんなことをしていると次第に自分がすり減っていくような気がする。

 

モノを買い換えるだけの行為はシンプルでもなんでもない。ステキで美しい生活でもない。邪魔なモノを目の前から排除しただけ。捨てられたモノはどこへ行くのか。ブロックされた人の気持ちはどう考えるのか。なんだか自分勝手過ぎやしないか。

 

もちろん自分の生活だから自分のことを第一に考えればよい。それと同時に自分以外のことも考える必要がある。冬が終わったから冬物は捨てるという人もいるが、僕はどうかと思う。それを使い切ったのであればよいと思うが。

 

モノの多少ではなく

僕はこのブログはじめてから、いろいろと考えるようになった。目の前にあるモノが多いとか少ないとかではなく、考えるというその行為が大切なのだろうと思うようになった。

 

考え抜いて、その結果モノが少ない生活になる。少ないモノで豊かに暮らしている人も厳選されたモノに囲まれて暮らしている人も昨日今日でその生活に辿りついたわけではないと思う。上辺だけを真似たってダメなのだ。その根本、要するに自分自身がしっかりしていないとダメなのだ。

 

考えるという行為は意外と楽しい。今の自分になにが必要でなにが不要なのか。「これがないと生活できない」と思い込んでいたのに、それがなくても生活できることがわかった瞬間なんて幸せの脳内物資が溢れ出てくる。

 

 

実は沢山のモノが欲しい

などとここまで語っておいてなんだが、僕には欲しいモノがたくさんある。買い替えたいモノがたくさんある。炊飯器は壊れたら土鍋にしようと思っているのだが、なかなか壊れない。日本の電化製品は素晴らしい。さっさと壊れちまえと願っているのだが、なかなかにしぶとい。おかげで余計な出費をしなくてすんでいる。

 

かつて持っていた除湿機は、ある日プラグを挿した瞬間にバチッ!と火花が出て、そのままお亡くなりになった。一部屋を閉めきって除湿機をつけておくと洗濯物がすぐに乾くので便利だった。梅雨時期も関係なくあっという間に乾く。

 

次はどの機種を買おうかなんてのんびり考えている間に梅雨は終わってしまい、その間、除湿機がなくても特に困らなかった。結局、再度購入することはないまま。またもや出費を抑えられた。