ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

大きなキャリーケースを持っている人ほど、必要なものを取捨選択できている人らしい

キャリーケース

最近読んだ記事からの引用と考察です。

 

なぜ、こんなに大荷物を持ち歩いているのだろう

通勤で利用する東京駅の中央通路をスーツケースの大群が疾走する。全員が旅行や出張中とも思えない。「事情はあるのだろうが、こんなに大荷物を持ち歩いているのは、なぜだろう?」などと考えているとぶつかったり、ひかれたりする。

 

精神科医によると、長年の臨床経験で患者の精神状態によって荷物の数や大きさにも変化が現れるそうです。

 

自分に合うカバンを追い求めて様々なタイプを遍歴する、自称カバン病の精神科医の見立てのひとつは、カバン=自我ケース、つまり、カバンはココロの入れものというものだ。

 

自分がこうありたいという願望、理想、周囲から求められる役割などで自我が肥大化すると、大きなカバンが必要になる。

 

大きさのわりにモノが入らないともいわれるキャリーケースを好んで持つ人は等身大の自我意識を持ち、必要なものを取捨選択できる人だという。

 

そうはいっても相当な大きさだ。街にあふれるスーツケースが、身軽ではいられない私たちの分身に見えてきた。

 

自我意識ってなに?

自我意識ってなに?ってことで調べてみました。

 

主体としての自我に関する意識 (主我) と,他人から見られている自分に関する意識 (自己意識) をいう。自我意識は年齢とともに発達して次第に形成されるが,幼時には生活空間が未分化で,自他の区別が判然とせず,自我意識は明らかでない。 

出典:https://kotobank.jp/word/%E8%87%AA%E6%88%91%E6%84%8F%E8%AD%98-72345

 

よくわかんないですね。もう少し調べてみます。

 

自我意識とは、「自分が生きていること」や、「自分が存在していること」を認識する意識です。


自分と外界を区別し、「自分は一人しか存在しない!」と言う、「自己の独自性」を認識する意識です。


昨日の自分も、今日の自分も、一年前の自分も、常に同じ自分であるという、「自己の同一性」を認識する意識です。


自分の欲求や希望、目標などを自らの意思で実現させようとする、「能動的」な思考や行動を生じさせる意識です。


つまり「自我意識」とは、私が、私を、「私」と感じる意識です。

出典:https://www2.odn.ne.jp/seimei/essay42.htm

 

ここが理解できません

キャリーケースを好んで持つ人は等身大の自我意識を持ち、必要なものを取捨選択できる人だという。

 

この部分が全く理解できません。取捨選択できていないから、大きなキャリーケースを持たざるを得ないだけの話でしょう?自分にとってなにが必要かがわかっていないから、無駄に自我が肥大化しているだけの話でしょう?そもそもそれって自我なのでしょうか?

 

大きなスーツケースを引きずりながら歩く人と、小さなカバンで歩く人と、どちらが身軽で早く歩けるかなんて考えるまでもないことだと思います。