ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

本の読み方と「霧笛荘夜話」の感想を少し

霧笛荘夜話

新幹線で読むための本を買いに行った。地元のいわゆるブックオフ系の中古屋で本以外にもいろいろある。超合金、ソフビ、Nゲージ、ガンプラ、ドール、エアガン、フィギュア。どれも子どもの頃から全く興味がない。そのなんともいえない独特の空気感にアウェイ感を感じる。

 

僕は他には目もくれず本の100円コーナーを探す。本には申し訳ないが読み捨てにするつもり。少し長めの出張なので、できるだけ荷物は少なくしたいのだ。買う本は決まっている。群ようこ。読み捨てにはぴったりである。群ようこ、群ようこ・・・あった。まあ、どれも同じような内容なのでどれでもいい。ふと、値段を見ると、なんと54円。こんな値段はじめて見た。群さんの本はページ数が少ないので、2冊購入する。2冊で108円。自販機で缶コーヒー買うよりも安い。108円で時間が潰せるとはね。

 

僕は少し前までは新幹線の中で本を読むのは控えていた。乗り物酔いをするからだ。たいていはipodで音楽を聴きながら、流れる景色をボーッと見ていた。トンネルに入ると窓に映った自分と目が合ってビビった。時間を潰すためにゆっくりと駅弁を食べた。電波が繋がるタイミングでスマホをいじって、送信ボタンを押した瞬間に圏外になったりしてイライラもした。

 

あるとき、乗り物酔いをすることに気がつかないふりをして新幹線の中で本を読んでみた。すると、どうだ。全く乗り物酔いをしないではないか。ずいぶんと前に大人になった僕はすっかり三半規管が鍛えられていたようだ。もっとも鍛え方は知らない。本に集中するとあっという間に時間は過ぎる。これはいい。今まで単なる移動時間でしかなかったのに、それを読書をする時間に変換することができた。また少し僕の習慣がかわった。

 

ところで先日、浅田次郎の「霧笛荘夜話」を読み終えた。言葉にとても品があり、センスがあり、なんといっていいのかわからないけど僕は好きだなぁ。こんな文章が書けたらいいのにと思う。それにはもっと言葉を知らないといけないし、経験も想像力も必要だと思う。それ以外にもっと必要なものがありそうな気がするが、今のところよくわからない。

 

霧笛荘に住んでいる住人は皆一風変わった人間であり、皆いいひとであり、人間的である。自分を持っている。自分軸がある。ゆえに苦労をする。だから日常が充実している。

 

たしかに幸せは金で買えるよ。でも、金で買えないものも、この世の中にはたくさんあるんだ。

 

人間ならば答えは同じさ。

 

僕は自分を強く持って生きていくなんてことはできそうもないから、これから先もお金のことを頼りにすると思う。