買う楽しみを失ったが、まあ、よいではないか
僕はモノを厳選するようになってから買う楽しみを失ったような気がする。
モノを買うのって楽しいと思う。次から次へと出される新製品。パソコンを買い替えた日はとてもワクワクしている。
箱を開ける瞬間。箱が傷つかないように折れ曲がらないように細心の注意を払う。細心の注意を払いながらも、早く早くと自分をせかす。
実物を見てニンマリする。
買った値段のことなんて覚えてないし、ましてやそれを捨てる日がくるなんてことは想像すらしない。そこにある真新しいパソコンに集中するのみである。
これはパソコンに限ったことではなく、テレビやスマホも同じ。洋服だって家具だって同じ。
手に入れた瞬間のあの喜び。
自分の生活に新しいモノが加わったときのワクワク感。
そんな気持ちを大いに失った。それはそれでもったいない気がする。
モノを買うのをやめてモノ以外のことにお金を使うようになったが、それはモノを手に入れた喜びとは少し違う。
確かに旅や映画や芝居やライブは楽しい。しいて言えば、チケットを手に入れた瞬間はモノを手に入れた瞬間のそれと似ているだろうか。
モノ以外の場合はジワジワとその喜びや楽しみを手に入れているような気がする。
お菓子などのお土産もその箱を開ける瞬間は少しワクワクする。
包装紙を剥がして、上箱をパカッと開ける。そこにはひとつの欠けもなくお菓子が並んでいる。
食べればなんてことはないよくある味だし、「大阪に行ってきました」と書いてなければ、どこのお土産かさえもわからない。コンビニでも買えるようなその味にはたいしてワクワクしない。
もちろん、全くモノを買わないわけではない。だけど、衝動買いはしない。買う時に吟味する。さんざん悩み考える。ほんとうに自分の生活に必要なのだろうか。
捨てるときの大変さを考える。捨てる大変さを考慮しても欲しいものだろうか。そんなことを考えながら買うモノって、衝動買いほどのワクワク感はない。「よし、買ったぞ。」とひっそりと心の中で思うくらいである。
買う時に捨てることを考えるなんてどうかしてるのかもしれない。だけど、捨てることの大変さを知ってしまったから考えざるをえない。衝動買いのワクワク感と捨てる大変さとのバランス。
ワクワク感を多く得れば、それと同じかそれ以上の捨てる大変さも多く得てしまう。必要最低限のモノしか持たなければ捨てる大変さも必要最低限である。