ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

執着しないこと ~こだわりから抜け出す~

執着しないこと

執着しないこと」著者のアルボムッレ・スマナサーラはスリランカ出身の僧侶。

 

人は元々すごいエネルギーを持って生まれてくる。だけども、そのエネルギーは漏電し段々と弱くなる。漏電の原因は「怒り」で あり、「恨み」「張り合い」「嫉妬」「物惜しみ」「後悔」なども怒りの一種である。また、「欲」も漏電の大きな原因となる。

 

ひとにとっては「張り合い」や「嫉妬」「欲」こそがエネルギーとなっているかもしれません。

 

人生を楽しみ、元気に過ごしている人のエネルギーの元は「明るさ」である。その明るさは「捨てる道」を選択できているから、すなわち執着がないからである。

 

ここで、本書のタイトルである「執着しないこと」という考えがでてきます。「捨てる道」は仏教の考えなのだそうです。

 

執着しないこと

 

第一章 妄想を捨てる

妄想 もうそう delusion

病的な状態から生じた誤った判断。確信的であること,経験や推理に影響されないこと,内容が現実から遊離していること,など
が特徴である。一般に被害妄想,関係妄想,誇大妄想のように,内容によって名称を与える。

 

妄想って病的なものだったんですね。これは捨てなければいけません。今度からは「空想」と言葉を置き換えるようにしましょう。

 

第一章に書かれていることは「余計なことは考えない」ということです。あれこれ考えて不安になったところで、それは現実ではない。妄想であるということです。また主観でモノを考えないということ。主観による思考がストップすると、妄想もストップする。すると、心はきれいな状態になるということです。

 

第二章 「自分」へのこだわりから抜け出そう

「私こそ正しい」が、あなたを苦しめる

 

自己中心的な考えですね。この考えは他人も苦しめますし、自分自身も苦しめられます。頑固はよくないですね。ととても疲れます。エネルギーを消耗します 。

苦手な分野は、他人に助けてもらう

 

完璧な人間なんていないですから、わからなかったら素直にわからないといえばいいし、素直にわかる人に教えて貰えばいい。わからないことは恥ではない。意地を通すことのほうが余程恥ずかしいことだと思います。では、自分へのこだわりを捨てるにはどうしたらいいか?それはこの本を読んでみて下さい。

 

第三章 「他人」へのこだわりを捨てる

もらいたいなら、あたえる。

 

ギブ&テイクですね。あの人と友達になりたいなぁと思えば、自分にもなにか与えるものが必要だということ。それは決して金銭やモノではありません。顔に自信があれば「美」を与えることができる。話が面白い人であれば「楽しさ」を与えることができる。気持ちのやさしい人であれば「癒し」を与えることができる。

 

ロクでもないものを与えれば、ロクでもない友達ができる。

 

「あんな子と付き合っちゃいけません」母親からすれば子どものためと思って言っているのだけど、子どもからすれば大きなお世話であり、反発したくなる一言ですね。けど、わたしはこの考えには共感できます。類は友を呼びます。とくに悪い考えには侵食されやすいです。人の噂話が好きな人は、いずれは自分自身が噂話される側になります。

 

「他人の気持ち」をわかりたいなら、「自分の気持ち」をまず理解する

 

自分の気持ちがわからないのに他人の気持ちがわかるはずもありません。自分がこうして欲しいと思ったことを相手にしてあげればいいだけのことです。

 

人間関係は、量より質である

 

これは人間関係に限ったことではないはずです。沢山のいらないモノを持つことよりも、本当に自分にとって必要なモノだけを持つ生活のほうが大切なはず。だからわたしには沢山のモノは必要ないんです。人間関係も同様。人との関わりが増えるほど、面倒なことも多くなります。広く浅く付き合うことにメリットは感じません。うわべだけの関係は必要ありません。

 

言葉には気をつけるべし

 

このブログでも言葉には気をつけるようにしています。あからさまに暴力的な言葉や人を傷つけること言葉は用いない。ストレス発散のために愚痴は書きますけどね。

 

「言葉の嘔吐物」は拾う必要なし

 

相手にしないってことですかね。嘔吐物ですから拾う必要はないですね。それを見て「うわっ、汚ったねぇ」と言ったところでなにも変わりません。見なければいいだけの話です。

 

第四章 「モノ」へのこだわりを捨てる

価値をつけるから捨てられなくなる

 

特にお金以外の価値でしょうか。贈り物や旅行の記念という価値。その思いが強いのであればとっておけばいい。年に一度の大掃除のときに「そういえば、こんなモノ持ってたな。」という程度のモノであれば捨てればいいと思います。執着も溜めればどんどん溜まっていきます。一度手放すことを覚えると、どんどんと身軽になれます。

 

  • 何も持たずに生まれ、何も持たずに死んでいく
  • ケチは一種の病気である
  • 「モノ」は使ってこそ価値がある
  • 他人のためにも使うと、もっと幸せになれる
  • お金も使ってそこ、幸せをもたらす

 

お金に執着しないというのはなかなか難しいです。明日も明後日も生活をしなければいけませんからね。「宵越しの銭は持たねぇ」なんてかっこいいこと言ってみたい。

 

執着しないこと

 

ところで本書では知恵も持ちすぎるとよくないと言っています。ついついその知恵を誇示したくなるからです。また、物事をシンプルに考えられなくなり、優柔不断になるからだともいいます。わたしも仕事でついつい自分の知恵を誇示したくなります。しかし、それは上から目線になってしまい、相手にとってはあまり感じがよくないもの。あたかも相手がその知恵に気づいたかのように話をすることを心がけています。

 

第五章 「過去」も「未来」も捨てる

過去の記憶は妄想である

 

後悔は後退しますが、懺悔は前進します。

 

未来への不安が人生を停滞させる

 

わたしも漠然とした不安はあります。先が見えないからです。これは誰しもそうです。先が見える人なんていません。

 

「過去」についても同様に捨てる必要があるといいます。わたしも過去の理不尽なできごとについて思い出し、自分ひとりでイライラしてしまうことがあります。冷静に考えればバカバカしいことです。できれば思い出したくない。だけど、ふとした瞬間に思い出してしまう。

 

「過去」も「未来」も捨てると残るのは「今」ですね。今に集中できる人はストレス知らず。集中できるものがない時間はヒマだと感じます。ヒマというのは疲れるものです。忙しいときというのは今やるべきことに懸命で過去も未来も考えているヒマなどありません。そんな時は不思議とやるべきことが次から次へと見えてきます。

 

夢は持たないほうがいい

 

夢は妄想であるので仏教的には持たないほうがいいとのことです。今この瞬間を思う存分、充実させる。夢を持つと言うことは怠け心なのだそうです。これはちょっとどうですかねぇ。夢があるから今この瞬間を頑張れるのではないでしょうか?未来を見ないで、今この瞬間なにを頑張るのでしょうか。

 

執着しないこと

 

第六章 「老・病・死」への不安を捨てる

老いも病気も死も必ずやってきます。それに対する不安もあります。「いつまでも若々しいままでいたい」と願うのは妄想なのだそうです。確かにそうかもしれませんが、若々しくいるための努力は無駄でしょうか?アンチエイジングはムダでしょうか?若さは自信に繋がるのではないでしょうか?

 

最後の章は読むのがいやになってしまいました。「執着」という文字にマイナスオーラを感じ始めたからです。わたしの心がザワザワしていたからでしょうか。気持ちが落ち着いたときに読めば、素直に読めたかもしれません。