ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

即行動が面倒な気持ちを回避する

タオル

僕は最近、「めんどくさい。」と思わないようにしている。めんどくさいから後でやろう。めんどくさいからとりあえずここに置いておこう。そう考えたって、いつかはやらないといけないのだ。そのいつかが今であるか明日であるか、それだけの違いなのだ。

 

例えば、フェイスタオルとバスタオルを洗濯したとする。すると、代わりのそれらを準備しておかなくてはいけない。少し離れたところにあるクローゼットからタオルを取り出し、洗面所のタオルかけにそれらをかける。時間にすれば一分足らずの行動だから、さっさとやってしまえばいいのに、そんなことよりも先に洗濯物を干したいとう気持ちが優先する。

 

その行動を怠ると面倒くささは倍増する。そして、風呂に入る時間になるまで気がつかない。湯船に浸かった瞬間に「あー、タオルがない。」と嘆く。廊下が濡れないようにつま先立ちでタオルを取りに行くのだが、つま先立ちの努力もむなしく僕がが通ったあとの廊下はビチャビチャになる。

 

「ほら、さっさとやってしまいなさい。」

 

母親はよく言っていた。そういうことだったのか。僕は怠け心のほうが強いから、ついつい「まあ、いいや。」と思ってしまう。そんな自分がこのように毎日ブログを更新していることは奇跡のようなことだと思う。誰に褒められるわけでもないのに。とりあえず続けられるところまでは続けるって決めたから毎日更新しているだけのことである。そもそもブログを毎日更新することなんてたいしたことじゃない。毎日ご飯を食べることだって、お風呂に入ることだってたいしたことじゃないんだから。

 

タオルをタオルかけにかけるってこともたいして面倒なことじゃない。面倒だと思ってしまうから面倒なんだと思う。そして、それを先延ばしにしているから面倒はよりいっそう面倒なことになるんだと思う。

 

そんなことを考える隙すら自分に作らず、やらないといけないと思った瞬間に行動する。すると、なんだか自分が几帳面な正確のように思えてきた。今やれば自分のことを几帳面だと思えるし、明日やれば自分のことをズボラだと思う。僕は僕のことを評価してあげたいから、今やる。

 

「会いたいと思ったときに会っておかないとダメ。」

 

そう言った人がいる。会いたくても会えないときがくる。先延ばしにすることは永遠の後悔に繋がることだってある。僕にも会いたくても会えない人がいる。もっと感謝の言葉を伝えるべきだったと思う。もっと素直に接することができたらよかったと思う。でも、それらはもう過去形でしか語ることはできない。でも、過去形だから、こんな気持ちになれることだって薄々気がついている。