ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

捨てても捨てても間に合わないもの

アイロン台

あまりに愚痴っぽい記事を書くのはどうかなぁと思い、昨日の記事はアップするのに躊躇いがあったんだけど、結局アップした。自分の気持ちを吐き出したかった。そして、少しスッキリした。書いて自分の中のモヤモヤしたものを吐き出すとスッキリする。読まされる方はたまったもんじゃないと思うけど。

 

モノをたくさん持っていた頃に比べると、僕のイライラ感は格段に減った。年齢を重ねて丸くなりつつあるだけかもしれない。自分以外のことに振り回されることも減った。でも、それらは決してゼロにはらならい。僕の日常は穏やかとイライラの繰り返し。少しも成長していないようにも思える。

 

このブログが「穏やか」をアピールしたいブログであれば、昨日の記事はアップしないほうがよかったと思う。誰も僕の愚痴を聞きたくてこのブログへ訪れているわけではないはずだ。モノを減らして、不要な情報を遮断してもイライラから解放されない。日常はそう簡単には変えられない。きれいごとだけの日常なんてあり得ない。そんないろんな感情がゴチャっとなったのが日常であるし、僕であると思う。

 

なんてわかったようなこと書いたけれど、単に僕は愚痴りたかっただけだからね。

 

そんなモヤモヤを吐き出したからだろうか。急にモノが捨てたくなった。すぐに押入れの中の小物入れを開けてみる。そこには薬、ヘアワックス、画鋲、ネジなどが入っている。

 

まずは薬の整理をする。いざとなったときにないと困るのが薬や絆創膏だ。でも、ここ数年、いざというときはやってこなかったし、絆創膏を貼るほどの怪我もしなかった。絆創膏の少しを残して他は捨てた。湿布も使うことはなかったので捨てた。小物入れのスペースが空いたので、そこに市指定のゴミ袋を詰め込んだら押入れ全体がスッキリした。

 

アイロンとアイロン台も思い切って捨てた。シワクチャの服で出かけるわけにはいかないので、アイロンは必要だと思っていたのだが、シャツなどは丁寧に干せば意外とシワにはならないことに気がついた。気がついてもなおアイロンを手放すことはできなかったのだが、今日になってようやく決断できた。

 

アイロン台は捨てるために分解した。台の上の布の部分を取り外し、留めてある金属部分のネジを外したら、「燃えるゴミ」「プラスチックゴミ」「燃えないゴミ」に分かれた。これでアイロン台ともお別れだ。

 

時々、こんなふうに急にモノを捨てたくなるときがある。同じようにモヤモヤした気持ちも捨てることができればいいのだが、捨てた瞬間に次のモヤモヤが発生する。捨てても捨てても間に合わない。