ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

「悪母」を読んでの感想 -ママ友の人間関係-

悪母の感想

悪母」春口裕子。その感想。

 

ママ友。人間関係。このふたつのキーワードだけでネチネチとしたものを感じる。想像通りの後味の悪さ。キライじゃないけど、決して近寄りたくはない世界。子どもを通したママ友の世界。学校や近所の公園。そこから抜け出したくても抜け出せない。

 

そんな世界を僕も知っている。いや、そんな世界なんてどこにでもある。それは職場だったり、家庭であったり。人と関われば必ず生まれるもの。恨み、妬み、嫉み。日常のモヤモヤ感、ネチネチとまとわりつく感情。一度、そう思い込むとその観念をくつがえすことは難しい。

 

他の人から、こんなふうに思われているんじゃないのか。誤解されているんじゃないだろうか。あいつがやったに違いない。自分の悪口を言いふらしているに違いない。自分の身を守らなきゃ。自分がやられる前に攻撃してやらなきゃ。

 

僕も勝手に思い込むときがある。自分の都合のいいように。自分がもっともしあわせになれるように物事を勝手に解釈する。そんなときの自分には余裕がない。違う視点で物事を考えるという余裕がない。頭の中が凝り固まっている状態。負の感情は、さらにひどい負の感情を生み出す。

 

自分に少し余裕が出てくると「相手も大変なのかもなぁ」「相手はひょっとしてこういうことが言いたかったのかもなぁ」と相手の立場にたった考えができるようになる。人間関係をスムーズにさせるためには相手のことを考えてあげること。お互いに相手のことを考えてあげていれば、きっとうまくいくはず。それを少しでも自分が得をするようになんてセコイことを考えるからいけないんだ。

 

本書でもそんな感情が渦巻く。相手がなにを考えているかわからないから、必死にその考えを読み取ろうとする。答えなど見つかるはずもないのに。人間関係に正解なんてない。それぞれに自分は正しいと思っているのだから、立場がかわれば正解もかわる。

 

この物語は奈江という女性の視点で描かれている。奈江の感情で描かれている。他の女性を主人公にすれば、この奈江だって、きっとイヤなやつとして描かれるはずだと思いながら読んでいた。そしてラストに差し掛かったころの展開。やっぱりそうなるよね。自分勝手だもんね。視点がかわれば答えもかわるよね。

 

そこがいやで抜け出したつもりでも、堂々巡りになるよね。だってさ、主人公はいつまでたっても自分なんだから。