ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

吉田修一「怒り」を読んでの感想

怒り

怒り(上)(下)  吉田修一

 

上下巻の二冊構成となっているが、文字数自体はそれほど多くないし、読みやすいのであっという間に完読。

 

事前に映画を観ていたこともあって、映画の映像を頭の中に思い浮かべながら読んだ。ラストが微妙に違うもののその他の場面はほぼ映画通り。小説のほうがわりと早くに犯人を特定できるのは事前に映画でそのことを知っていたせいだろうか。

 

まあ、犯人当て小説ではないので、そのあたりは気にすることはないかも。小説を読んでも犯人の動機はやはりわからなかった。

 

たったひとりの怒りに多くの人が巻き添えをくらう。信じたいが信じられない。なにをもって信じればいいのか。

 

「わたしを信じて」という言葉を簡単に信用できるほどのなにかを僕は知らない。信じたいのはその人のなになのか?心の奥底にまであるものか?そんなところにまで土足で踏み込んでしまっていいのだろうか?踏み込まれたくないから隠そうとする。

 

決して他人には迷惑をかけることはない心の奥底のなにか。それを知ろうとすればするほど、あなたは遠ざかる。知る必要があるもの。知る必要のないもの。それを知れば信頼関係は深まるのか。それを知れば、そのフィルターでしか見られなくなってしまうのではないか。

 

信じていた人から裏切られたときの絶望感。信じたいけど信じることができない心の葛藤。そんなことがこの小説に描かれています。

 

人の心なんて見えないし、自分の心だって見えやしない。見えないものを信じることの難しさ。その人と真剣に向き合おうとすれば、そんなことに悩まされます。

 

上辺だけの関係であればそんなことはない。上辺だけの関係は気が楽だけど、所詮それだけの関係。どこで線を引くか。ここから先は踏み込んじゃいけないという線は人によって違いますね。だからその線引きさえも難しい。線引きを間違えたときにそのことを素直に謝ることで、その間違いも許されるのではないでしょうかね。