ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

僕のミニマリズム2017

ミニマリスト

ミニマリストという言葉を聞かなくなって久しい気がする。この言葉が流行りだした頃には批判的な意見も増えたし、僕自身もその言葉に恥ずかしさを覚えた。だって、どうでもいいことだしさ。その人がミニマリストだろうとなんだろうと。

 

ミニマムの定義も違っていて、極限まで減らすことを求める人もいれば、シンプル生活にとどまる人もいる。ほとんどの人にとっては目標としてのミニマリストだったのではないかと思う。一種のあこがれ。カバン一つでブラリと自由な生活をする人への憧れ。スナフキンへの憧れ。

 

 

僕にとっては、まさに憧れだった。今でも憧れてはいるが、結局は憧れのまま。現実には生活がある。自炊をすればそれだけで多くのモノを持たざるを得ない。おしゃれだってしたいから、それなりに服も持ちたい。今は過去最低限の服の量だけど。

 

 

買っては手放すということを繰り返していて、買った分以上に手放しているから、服の数は徐々に少なくなる。

 

情報断捨離もしたいところだが、それもなかなか難しい。テレビの向こうの人のセクシャリティがどうとか、薬で逮捕されたとかそんなことはどうでもいいけど、僕自身の役に立つ情報は世の中に多くあるから、情報をシャットアウトするわけにもいかない。垂れ流しの情報はシャットアウトしたけどね。

 

僕にとってのミニマリストとはモノを減らすことだけではなく、気持ちをすっきりさせるための手段のひとつだ。心穏やかに。気持ちをおしゃれに。気持ちをすっきりさせるためには目の前の整理整頓から。雑然としたモノの中ですっきりなんて生活できない。雑多には生きたくない。

 

気持ちの整理のためにブログを書く。気持ちを書き出す。時にストレスを吐き出す。僕にとってはブログは大切なツール。だからパソコンは手放せないし、いつでもどこでもブログが書けるスマホも手放せない。

 

スマホはブログが書ければじゅうぶんだから格安スマホでよい。お金に余裕がないと気持ちにも余裕が生まれない。常にお金のことを気にしながら生きるなんて窮屈過ぎる。たくさんのお金はいらない。欲すれば労働のために時間を消費しないといけない。窮屈な毎日更新。穏やかになんていられない。だから無駄な支出を減らす。

 

結局のところ僕はミニマリストにはなれない。シンプリストがいいところだと思う。いろんなことを考えると、シンプリストがいちばんバランスがよさそう。最小限+αで自分に心地よい生活を送ることができれば。それが僕の目指したいところ。