ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

映画「14の夜」の感想 呆れる程に馬鹿だった

14の夜

時は1987年。田舎の片隅で暮らす14の少年。くだらないと感じる日常。くだらないことばかりが頭をかけめぐる毎日。町に一軒だけあるレンタルビデオ屋にAV女優よくしまる今日子がサイン会にやってくるという。少年はよくしまる今日子に会えるのか。

 

僕は去年の正月もこんな感じの映画をみた。「恋人たち」だ。

 

どうしようもない日常にイライラとする毎日。僕は正月にこんな映画を見てしまう傾向にあるみたい。まず最初にいっておきますが、家族で見ると気まずいと思います。何人か家族連れがいたけど、よく親子でこんな映画を見ようって気になるよなぁ。僕は絶対無理だ。

 

父親は休職中の教師。休職の理由は飲酒運転による自宅待機。だらしのない格好で毎日家にいる。小説を書いては雑誌に応募するが、賞などとれるはずもなく。やけ酒を飲んで現実から目をそらす。

 

僕自身も父親のようにはなるまいと思っていた。あんな男に、あんな大人になってたまるか。自分自身のふとした動作に父親を感じることがある。「あ、今の親父っぽい」それを嫌だと思う時期はとうに過ぎた。僕はあのような大人にはなっていないはず。

 

結婚の挨拶をしに婚約者を連れて姉が実家に帰ってくる場面がある。母親はごちそうを並べて準備する。父親は家の中にいること自体も落ち着かないのか、日もくれているのに草むしりをする。「そんなこと今しなくても」「草が生えているんだから仕方がないじゃないか」

 

娘と婚約者が揃い、食事の時間になるも父親はそこに座ろうとしない。「確かここにカメラがあったはずなんだけどなぁ」「いいからお父さん!早く座ってよ!」母親とおばあちゃんは無難な会話でその場をつなごうと必死。よそいきの声で懸命に言葉を交わす。

 

なんかすごくわかる。この微妙な雰囲気。やなんだよね、14の頃の少年にとっては。自分の居場所がない感じ。その場の全てにイライラし一刻も早くこの場から逃げ出したい感じ。久しぶりにこんな感覚を味わった。それくらいにリアルな場面。

 

14の夜

 

14の少年の頭の中は「やりてぇ」ってことばかり。悶々とする日々。「俺たちってさぁ、いつかおっぱい揉める日がくるのかな?」そんなことが不安でたまらない。

 

「不良たちは不良だからおっぱい揉めるだろ?サッカー部のやつたちはモテるからおっぱい揉めるだろ。俺たちはさ、その他大勢の中でも中の下だからさ。なにものでもないからさ。そんな日がくるのかなぁって」 

 

知らぬ世界への期待と不安感。不安というのは見えないものに対してあるわけで。この気持ちもすごくよくわかる。この頃に戻ってみたいと思うこともよくある。何も知らなかったあの頃に。想像だけで過ごしていた日々に。当たり前になると「あぁ、こんなもんか」って思う。

 

少年がAV女優よくしまる今日子に会えたのかどうかはさておき、その夜はいろんなことがあって朝を迎える。少年は血まみれになりながらトボトボと自分ちに帰る。庭では父親が婚約者の車を勝手に洗っている。「どうしてそんなことしてるの?」「車が汚れているからさ」

 

父親は息子にたずねる。

 

「お前は父さんのことをかっこ悪いと思うか?」

 

当たり前じゃんと答える息子。

 

「でもな、お前がかっこ悪いのは父さんのせいじゃない。お前自身の問題だ」

 

息子は黙って家の中へ。そんなこと言われたくないよなぁ。いちばん言われたくないよなぁ。庭では婚約者と娘と父親が言い争っている。「お父さん、自分で洗いますから」「勝手なことしないでよ、誰が頼んだのよ」 

 

少年はそんな声を聞きながらベッドの上で笑い、そして泣く。これが僕の日常か。こんな日々がこれから一生続くのか。父親に未来の自分の姿を重ねたのか。少年の気持ちはわからない。けどね、未来ってもんは自分で変えていくもんだよ。退屈な日常から抜け出す方法なんていくらでもある。僕を変えることができるのは僕自身だと思うのさ。