ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

NODA・MAP 『足跡姫』の感想

足跡姫

「足跡姫」は野田秀樹脚本の舞台です。池袋にある東京芸術劇場が会場。主演に宮沢りえ、妻夫木聡、古田新太。他、佐藤隆太、鈴木杏、池谷のぶえ、中村扇雀、野田秀樹。

 

どうやら中村勘三郎へのオマージュの意味もあるらしいこの芝居。僕はどこまで歌舞伎に縁があるのだか。ちなみに野田版 研辰の討たれは過去に舞台を観たことがある。

 

オマージュ
1.尊敬。敬意。
2.賛辞。

 

冒頭の吹き荒れるギャグは少し寒い。これが歌舞伎だったらきれいに収まるんだろうけど。品のいい笑いになるのだろうけど。それは伝統芸能の強みだと思う。格式ある伝統芸能がかたっ苦しくなく、こんなギャグも言いますよ?的なね。あ、でも宮藤官九郎の歌舞伎は実に品がなかったなぁ。

 

 

 

歌舞伎は出雲阿国という女性が踊った歌舞伎踊りがその原点。今では歌舞伎は男の世界ですが、当初は女性だったのです。芝居をするにはお客さんに入ってもらわないといけません。チケットを売りさばく必要があります。そのために手っ取り早いのは、、、枕営業です。これが世の風紀を乱したと政府は女歌舞伎を禁じます。そして歌舞伎は男が演じることになります。女の代わりの男。求められたのは美少年。江戸時代は男も女も関係なかったようで。それも禁じられ今の野郎歌舞伎へと繋がるわけです。出雲阿国を宮沢りえが演じます。結構、きわどい衣装で踊りも艶めかしい。

 

勘三郎へのオマージュ。

 

「肉体の芸術ってのは死んだらなにも残らない」

 

三津五郎さんが勘三郎さんに残した言葉。この言葉がこの物語の軸になっているのだと思います。死んだら何も残らない。舞台はライブです。映像で伝わらない。その空間にいるものだけが味わえる一瞬の緊張感や感動。同じ演目でも演じる役者によってそれは全く別の物語になることもあるし、同じ役者とて一日一日が勝負で日によって出来不出来は違うのだと思う。そういう意味で役者は形を残せない。死んだら終わりだと。

 

 芝居のラストに妻夫木聡演じるサルワカが叫ぶ場面がある。自分はサルワカ勘三郎となり、代々それを受け継ぐと。五代、六代いやもっと、そう、十八代目へと受け継がれていくのだと。実にストレートだと思う。平成の時代に亡くなった勘三郎は十八代目だった。その中村屋スピリッツは確実に勘九郎、七之助へと受け継がれている。そして勘九郎の息子、三代目中村勘太郎と二代目中村長三郎に引き継がれ二月の歌舞伎座で初舞台を踏む。

 

前半よりも後半のほうがグッと引き込まれます。舞台装置はシンプルながらも品があってとてもよかったと思う。これも歌舞伎を意識したのかも。