ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

五月花形歌舞伎の感想 大阪松竹座にて

歌舞伎

2017年5月の松竹座は澤瀉屋、中村屋による花形歌舞伎。昼の部は「戻駕色相肩(もどりかごいろにあいかた)」という舞踊と「金幣猿島郡(きんのざいさるしまだいり)」の通し狂言。夜の部は「崎村(のざきむら)」という恋物語、「怪談乳房榎(かいだんちぶさのえのき)」の通し狂言といった構成だ。

 

どちらの通し狂言も僕は見たことがない。ずっと見たいなぁと思っていた。怪談乳房榎は勘三郎のそれをいつか観たいと思っていたのだが叶わなかった。

 

金幣猿島郡(きんのざいさるしまだいり)

好きな男のことを思いすぎ、泣いて泣いてついには盲目になってしまう清姫。それがあるパワーによって目が見えるようになったのはいいが、思っていた男は別の女と恋仲に。清姫は嫉妬心から蛇と化す。藤原忠文という男も同様に恋仲の嫉妬心から鬼と化す。ふたりの怨念は合体し、恋仲にあるふたりを祟り殺そうとする。

 

こんなストーリーなのだが、冷静に考えればすごいよね。恋がうまくいかなかったからといって逆恨みし、祟り殺そうっていうのだから。異常犯罪者だよね。

 

主役は市川猿之助。この人が通し狂言をすれば、必ずといっていいほど宙乗りをする。やっぱ飛んでくれないとね。物足りないよね。

 

最近の猿之助の演出には少し違和感を感じることがある。妙な色の照明。あのあからさまな演技はどうしても鼻につく。「さあ、ここで拍手喝采。感動してください」といわんばかりの演技。わかりやすい歌舞伎とはそういうことなのか?

 

三階席からのスモークの演出ははじめて見たし、宙乗りのときの音楽も古典としては珍しい。四代目なにを模索しているのか。

 

怪談乳房榎(かいだんちぶさのえのき)

ふとした縁から浪江(猿之助)は絵描きである重信(勘九郎)の弟子になる。重信にはお関(七之助)という妻がいる。お関に関係を迫る浪江。浪江は邪魔になった重信の殺害を企てる。その殺害に成功した後、重信とお関の子である真与太郎も殺害をしようと企む。

 

浪江という男もずいぶんと身勝手だし短絡的だよね。邪魔だから殺す。まあ、二時間ちょっとの舞台のために短絡的にさせられたのだろうけれど。最後は因果応報で命を落とす。悪いことはできないってこと。

 

勘九郎の三役早変わりはすばらしい。「えっ?いつの間に」と思わせる場面が何箇所かある。見ている側も早変わりがあることをしっているので、構えてみているのだが、それをいい意味で裏切ってくれる。早変わりの全てを見抜いてやりたかったぜ。

 

滝の場面では本水を使う。舞台に近い客席にはビニールシートが用意される。幕が下り、舞台を作っている間に市川弘太郎登場。場をつなぐ。弘太郎さんは、こういうのが得意になったよね。アドリブも効くし客席とのやり取りも面白い。誰でもできる役じゃない。貴重な存在だと思う。

 

勘九郎にはたまに父・勘三郎の姿が重なる。親子だから似ていて当たり前だけど、ゾクッとするくらいに勘三郎を感じることがあるのだ。台詞回し、間、雰囲気。モノマネをしようと思っているわけではないのだろうけれど、まずは父と同じように演じてみるということを心がけているのかもしれない。そうしている間に当代らしい勘九郎になるのだと思う。