「本音で生きる」を読んでの感想
本音で生きられる人もいればそうでない人もいる。前者は強い人、後者はそうではない人。とは限らない?
僕はといえば、そうだなぁ、時と場合による。絶対に譲りたくない自分の軸に関する部分については本音で勝負する。そうでなければ妥協する。常に本音が望ましいが、そうすると疲れる。
僕は自分を大事にしたいから、そのバランスをとりながら本音とそれ以外を使い分けている。
僕は、どんな時も「相手に尽くす」ことが重要だと思っているが、それは「馴れ合い」とは違う
僕自身、馴れ合いはとても苦手で生理的に嫌悪感を感じる。群れなきゃなにもできないのか。仲間内だけの連帯感。気がついたら、ゆでガエルとなり自分が置かれている状況さえもわからなくなる。助け合うことは大切だが、馴れ合いの毎日なんてまっぴらだ。
他人のことは放っておけ
他人を放っておくことの大切さは僕自身もある時期に気がついて、それからはずいぶんと楽になった。他人が自分をどう思っているかなんて本音の部分はわからないし、それを考えたところでそれは所詮、自分の想像でしかないのだ。勝手に自分の頭の中でモヤモヤして自分自身の気持ちを惑わせるだなんてそんなバカらしいことはない。
「価値観や意見が違う」ことがわかることが大事なのだ
これもある時期に気がついたことのひとつ。他人と考え方は違って当然。無理やり自分のほうに引っ張り込もうとする必要はない。
相手も自分の考えに引っ張り込もうとするのだが、そんなときは持っている綱を手放すようにしている。意味のない綱引きをして、どっちが勝ったとか負けたとか、そんな勝負をする必要はない。
「できない理由」は考えない
仕事上でもできない理由を懸命に語る人は多い。あり得ないような事態を想定して人は抵抗する。
それをやらないことのデメリットのほうがはるかに大きいのに。そうやって抵抗する人にはこんなふうに投げ返している。「では、その問題を解決するために具体的にどうしたらいいですか?」と。
「言い訳」で自分を守る人たち
言い訳ほどみっともないものはないというのが僕の価値観。そんな人ほど行動に移さない。いいから、やってみようよ。まずは一歩を踏み出さないとなにもはじまらないじゃない。「その先に落とし穴があったらどうするんだ」 「茂みからライオンが出てきて襲われたら誰が責任を取るんだ」その可能性がどれだけるというのだ。
みんな自意識過剰なのだ
誰も自分のことなんて見てないってこと。見栄やプライドは捨てる。そんなものを持っていると人は寄ってきたがらない。「丸くなったねぇ」と言われるか「ますます手がつけられなくなったね」と言われるか。前者のほうが他人にとっても自分にとっても楽なはず。