「非色」有吉佐和子を読んでの感想
昭和38年に発行された有吉佐和子の小説「非色」写真の本は図書館で借りたものだ。50年以上も前の本だから痛みは激しい。それにしてもこのデザイン、なんとかっこいいのだろう。シンプルでオシャレ。ページの横の部分も黒で塗ってあって凝った作りになっている。
この本はタイトルにもあるように「色」がひとつのテーマとなっている。人間の色。肌の色。差別。
非
- 道理に反すること。正しくないこと。
- あやまり。欠点。
- 物事がうまくいかないこと。
色
- 光の波長の違い(色相)によって目の受ける種々の感じ。
- 人の肌の色。人の顔の色つや。
- 表情としての顔色。目つき。目の光。
- それらしい態度・そぶり。
戦争が終わった日本でふたりは結ばれた。夫はニグロ。妻、笑子は日本人。生まれた子どもはニグロで夫はそれに落胆する。ニューヨークへ帰国した夫のもとへ笑子は行く。
そこはニグロの街。モノがない地下での生活。その土地で次々と子どもが生まれ、六人家族となる。ニグロの夫にはろくな仕事はない。生活のために日本レストランで働く笑子。そこには常に人種の問題がつきまとう。
なぜ差別が生まれるのか。肌の色ではない。使うものと使われるもの。その関係から成り立つものではないだろうか?アフリカニグロとアメリカニグロもまたお互いを嫌いあう。
白人の中でも差別はある。プエルトリコ人だとかユダヤ人だとか。自分は誰かよりも上にいると考えることで心が落ち着くのだ。そんな気持のために見知らぬ誰かを蔑むのだ。その理由をすりかえて。
物語の最後に笑子は気がつく。
私も、ニグロだ!
自分の夫はニグロでその子どももニグロ。ニグロの街に住み生活をする。その中で自分ひとりだけ日本人であり得るはずがない。笑子がこの考えに至ったとき、笑子自身の寝の前は明るくなり、なにかが吹っ切れたのだと思う。
僕は全く差別意識をもっていないわけではない。心の奥底にはきっと存在する。ふとした瞬間に湧き上がってくる。しかし僕はこの問題を普段、無視している。差別とか肌の色とか考えることもほとんどない。
無関心はよくないと思われるかもしれないがそうではない。考えること自体が差別だと思うからだ。「差別反対!」と運動をしている人がいるが、それこそが偽善であり差別なのではと感じることがある。「差別を許さない」という立場でものを言うことの差別。そんなことをあえて言う必要はない。我こそが正義だなんて考えてはいけない。人には上も下もない。