ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

「システム化した意味ってわかっていますか?」のいまさら

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「やけにデータが少ないな」

 

ある部署へのシステム導入を行ったのが去年の年末のこと。その部署の担当者は泥人形だったので、話が噛み合わず未だにシステムが安定しない。

 

今日さえうまく動けばいいというのが泥人形の考えで、当初僕はそんな泥人形の性格をしならなかったものだから、泥人形のいうことを信用してシステムを構築した。
 

だけども、システムが稼働してからも「今日も不具合があります」「また不具合です」と問い合わせが頻繁にあった。

 

泥人形の話を総合的に考えると、どう考えても辻褄が合わない。今日はうまく動作しても明日はダメ。こんな仕様でまともに動くはずがない。僕のヒアリングミスといえばそれまでだ。

 

でもさ、泥人形がダメなのはその部署の常識となっていて、それを僕に押し付けてきたのだから、そっちの責任のほうが大きいだろうよ。そう言いたかったが我慢した。

 

なんだかんだ言ってもシステムを構築したのは僕だから。一部の人が僕の立場をわかってくれているのも心の支えだった。

 

そんなダメダメな状況を察知して、その職場の上の方が担当者を増やしてくれた。僕より若い最近、主任になった男。

 

これでなんとかなるかと安堵したのもつかの間。この男も話が通じない。自分より年下の人間を非難はしたくないが、まるで泥人形の生き写しなのだ。泥人形二号。

 

ここで、やっと冒頭の話に戻る。一年間システムを利用してきたわりにはデータ数が少なすぎる。調べてみると終わったデータは次々に削除しているようなのだ。

 

僕は信じられなかった。せっかく入力したデータを削除するだなんて。過去のデータは財産だぞ?過去のデータを解析して未来に繋げる。それでこそデータベース化をした意味があるってものだ。

 

データ削除をした理由はなんとなく想像できる。今日の作業に邪魔だからだ。画面上にたくさんデータがあったらデータ検索するのが大変だから消した。多分、そういうことなのだ。

 

データを非表示にする方法もあるし、簡単に検索する方法ももちろんある。それを知ろうともしないで、邪魔だから消すという安易な考え。「システム化した意味ってわかっていますか?」そんなところから問いたださなければいけないのだろうか。