貫井徳郎「乱反射」の感想、思いは互いに反射する
風が吹けば桶屋が儲かるの逆のような悲しいお話。
「自分ひとりくらいはいいだろう」「これくらいのこと誰だってやっているから」そんな自分勝手なモラルが積み重なって、結果として最悪の悲劇を招く。
ひとりひとりのそれは法律で裁くこともできないし、目くじらたてて咎められるようなものでもない。ほんの少しの後ろめたさは感じるものの、悪意をもってやっていることではない。
「特権意識が高まるのは悪いことじゃないですが、それは義務の履行が伴ってこそじゃないですか。そんなことも知らずに権利の行使ばかりを主張する人が、いつの間にかものすごく増えてたんですよ。しかも当然の権利を主張しているだけだから、本人たちは悪いことをしているという意識もない」
僕は「自分ではやりもしない人」になにかを言われることにモヤモヤを感じる。「どうしてお前に言われなきゃいけないんだ?」と思う。以前には反論をしていたが、最近ではそれすらやめた。諦めた。人が丸くなるというのはこういうことなのか。単なる諦めか。
「あなた、晩節を汚しましたね」
自分にいいわけをし散歩中の犬のフンの後始末をしなかった男がいた。それを他人からとがめられ、腹を立てた男は妻に自分の正当性を論した。当然、妻からは同意の返事が返ってくると思っていた。
「晩節を汚す」皮肉にも美しい日本語だなと思った。
晩節を汚す(ばんせつをけがす)
それまでの人生で高い評価を得てきたにも関わらず、後にそれまでの評価を覆すような振る舞いをし、名誉を失うこと。
こうなりたくない大人の代表格のひとつ。あ、そのまえに名誉を得なきゃ。
みなが正しいことをすれば、それで不幸は起こらないのか?いや、起こる。そもそも正しいってなんだ?それこそが僕の身勝手なんじゃないか?正しいと信じて疑わない人間ほど厄介なものはない。
ラスト2ページで僕はどっと涙した。それまで、その子に感情移入などしていなかったのだが、「不運」という言葉では片付けられないほどのものを失ったのだと気がつかされた。
ほんの少しの自分勝手が、どれだけの影響力をもたらしているのか。1億2672万人の身勝手が積み重なれば、それは大きな不幸になる。