ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

岡嶋二人「クラインの壺」の感想

岡嶋二人

クラインの壺

境界も表裏の区別も持たない(2次元)曲面の一種で、主に位相幾何学で扱われる。

 出典:Wikipedia

 

本書の発行は1989年なので今から約30年前の本になりますね。内容は仮想世界を描いたミステリー小説。とはいっても、がっつりミステリーというわけではなく、SFの要素が強い。

 

「クラインの壺」とよばれる疑似体験(VR)ができるゲーム機が開発され、ゲームの原作者である男がテストモニターとして選ばれる。モニターには、もうひとりの女も参加。

 

このゲーム開発は秘密裏に行われており、その開発場所さえも明かされない。イプシロンプロジェクトと呼ばれるこのゲーム開発に次第に不信感をもっていくふたり。

 

― 戻れ。

― コントロールできるうちに、逃げろ。

 

仮想世界の中で不思議な声をきく。ゲームのプレイ中、その仮想世界は突然真っ暗になり、気分が悪くなる。これはゲームのバグなのか。警告なのか。

 

ゲーム開発のために現実世界と仮想世界を行き来する日々。どちらが表でどちらが裏か。日常の辻褄があわない。今は現実なのか?それを確認するために最後には・・・。

 

これを30年も前に描いたのがすごいと思う。1989年といえば昭和から平成に変わったばかりのころ。任天堂のゲームボーイが発売され、翌年にはバブルがはじけるそんな時代です(いずれもWikipediaより)

 

携帯電話が普及していなかった時代、物語の中の人たちは固定電話を使って連絡をとろうとします。事前に待ち合わせ時間を決め会ったりする。今の時代にこの小説を書こうと思っても無理が生じてくるんでしょうねぇ。

 

時代といえば、こんな記述がありました。

 

「データがかなり膨大なものになりますね」

「・・・技術者はテラ単位だなと笑っていました」

・・・それは天文学的な単位だった。

 

今ではテラ単位のHDDなんて一般の人でも普通に買えますが、この頃は天文学的単位だったようです。1986年に発売されたドラゴンクエストが512キロビットだった時代ですからね。そのほうが今となっては信じられないくらい。

 

本書はとてもテンポがよくサクサクと読めます。次が気になって仕方がない。今の時代に読むからこそ、感心させられることが多い一冊だと思います。