「今の家にはなにも残さない」までにモノを減らす
二ヶ月足らずで、また引っ越さなければいけない。今度は本格的な引っ越し。引っ越しなんて何年ぶりだろう。県外に住むことなんてもっと久しいことかもしれない。
そんな状況なので、やることはたくさんある。やることリストのひとつにモノを捨てるという作業がある。正確にいえば「今の家にはなにも残さない」までにモノを減らすのが目標。
この夏は短期的に今の家を離れていたんだけど、その間は必要最低限のモノだけを新居に移し生活していた。結局それらのモノだけで何不自由なく生活ができた。
ということはですね、その間に今の家に置きっぱなしにしていたモノはなにひとついらないモノってことなんですよ。なにひとついらないはずなのに、そのほとんどのモノが捨てられない。どうしてですかね。
家電の多くは処分しようと思う。炊飯器とトースターは放置していた間にカビだらけになってしまった。掃除すれば使えないことはないけど、そこまでする気もない。今の時期に栗ご飯が食べられなくなるのは残念だけど、それとてそもそも栗が拾えなくなる環境になるのだし(僕の中では栗はスーパーで買って食べるものではないのだ)、トースターだってパンを食べる習慣がなくなったからさほど必要ない。
ホームベーカリーも同様の理由で必要なくなったので、これを機会に手放す。
テレビを見る習慣がなくなって、何年も経つが、テレビは捨てずにとっておいた。押入れの奥に大事にしまっていた。ブルーレイレコーダーも同様に。
どれも使えるのかどうかが不明。一応電源は入る。だがテレビ契約をしていないので画面にはなにも映らない。デジタルってゼロかイチだから、映るか映らないかだよね。デジタルってこんなとき不便。
ブルーレイレコーダーの動作確認もできない。細かい操作をしようと思えばリモコンが必要。リモコンには乾電池が必要。僕の家には乾電池がない。といわけで動作確認ができない。
どちらも動作確認ができれば「必要ならもらってくれ」と誰かに声をかけることもできるのだが、それもできない状態にある。使えなければたんなる粗大ゴミ。そんなモノを親切心を装って差し出すわけにもいかない。
そもそもいらないものを誰かにあげるという行為自体が身勝手なものだろう。捨てるには惜しい。でも自分は使わない。だから誰かに押し付けて、自分はいいことをしたと思い込む。あぁ、なんて身勝手な行動なのでしょう。
家電類はすべて粗大ごみとして処分することにしました。地域のごみ処理課に連絡して引き取りにきてもらわないといけません。しかも処分費がかかる。面倒な時代になりましたな。
だから僕はそんな面倒ごとを押入れの奥深くにしまっておいたのでした。