ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

ミニマリストに飽きてきました。なんか違う感漂う今日この頃

ミニマリスト

最近、どうにもミニマリストという言葉に過食気味です。

 

このブログをはじめるにあたって、メインコンテンツをなににしようか考えました。僕は全てにおいてシンプルさを大切にしているので、それ系をメインにしようと思いました。

 

そこで出会ったのが「ミニマリスト」という言葉。初めて出会ったその言葉に新鮮さを覚えました。

 

よし、このブログのメインはミニマリストだ!

 

そして、参考のためにとミニマリスト系のブログを読み漁りました。しかし、これが全然ミニマリストじゃない。モノに囲まれて生活している様子がありありと浮かんでくる。

 

うーん、これじゃない・・・。

 

そこにいたのは、ミニマリストという言葉に憧れているだけ、その言葉に酔っているだけの人がいただけだった。かくいう僕もそう。全く同じ。その言葉に惹かれただけだった。

 

それだけならまだしもシンプルライフにすら達していないような人もいた。なんだかミニマリスト界隈はきな臭かった。

 

僕は相当前に「シンプルライフ」というホームページを作っていたことがある。ブログなんてまだなかった時代。自分でせっせとHTMLでタグを打っては、それらしいサイトを作成していた。

 

そこにはシンプルに対する僕の思いを書いた。だけども、だんだんとシンプルライフという言葉をあちこちで聞くようになった。

 

もちろん僕がこの言葉の先駆者だ!なんていうつもりはない。はるか昔からこの言葉はあって、情報弱者だった当時の僕はこの言葉を知らなかっただけのことだ。今の僕がミニマリストという言葉を知らなかったのと同じように。

 

そして、ネットを使い込んでいくと、そこにはシンプルライフという言葉が当然のようにうじゃうじゃしていた。

 

しかもその言葉は僕が考えているものとは少し違っていた。シンプルライフというおしゃれ生活。淡いグリーンで包まれたようなほんわかとした穏やかな生活。他人のシンプルライフにそんなイメージを感じた。

 

そうじゃないんだなぁ。

 

当時の僕はとても違和感を感じた。今の僕がミニマリストという言葉に違和感を感じるように。

 

結局、僕は人と一緒というのがいやなだけのようだ。

 

シンプルライフとミニマリストの途中に断捨離という言葉も流行ったが、僕はそれにはあまり食いつかなかった。断捨離という言葉の意味を知ったとき『まあ、結局、僕がやっていることだね」と思ったからだ。僕にとっては断捨離はあたりまえのことだった。

 

まあ、そんな感じの僕だからミニマリストが一般化してくると、そこから離れたくなるのは当たり前。一気に広まった感のあるミニマリストと言う言葉に僕は飽きてしまった。

 

結局のところ、僕の生活はずっとシンプルライフだ。あこがれは極限生活。トランクひとつで生活してみたい。しかし、それを行うのは今の僕にとっては困難だ。あまりにも快適さが失われすぎる。

 

僕は夜はベッドで寝たい。自炊もしたい。ブログを更新するためのパソコンも持っていたい。快適なネット環境も必要だ。もうこれだけで極限にはなれない。

 

極限という生活はあまりにも一般からかけ離れすぎている。だから流行らないと思う。とすれば、乗っかるべき言葉はやはり極限。いや、でもなぁ・・・。