ゴミで個人を特定されることの不快感
今日は新聞購読やめてからはじめての古紙回収の日だったんで、まとめて回収ボックスに持っていきました。あれ?なんにも置いてないぞ?今日って古紙回収の日じゃなかったっけ?いつもならなにかしらのゴミが置いてあるのですが、今日はなにも置いてなかったのです。
ゴミの日を間違えたかな?
なんだか不安になったので、とりあえず持ち帰りました。たまに間違えるんですよね。回収日が翌日とかならいいですけど、1週間2週間先だとね、さすがに迷惑ですしね。ってか、回収されないままの自分のゴミがずっとそこにあるのって、なんだか気持ち的にイヤなんですよね。
ある日、ゴミ捨てにいった時に、たまたま近所のおじちゃんがいて、「ほれ。」って感じで手を伸ばしてきたんですよ。お前のゴミを回収ボックスに入れてやるから渡せよ。ってことなんでしょうけど、それもちょっと躊躇しましたね。自分のゴミを他人の手に渡したくないんですよね。まあ、おじちゃんが、わたしのゴミの中身を見るとか、そんなことはしないと思いますけどね。
特定されたくないゴミ
コレはあの人のゴミって特定された時点でなんだかイヤなんですよね。誰の目にも触れず、回収ボックスに入れたら、それはもう自分のゴミじゃなくて、匿名の誰かのゴミっていうことになります。たくさんあるゴミのひとつに過ぎないので、個人が特定されることはありません。
匿名であることの安心感って大きいですよね。掲示板への書き込みもそうだし、このブログもそうです。本名なんて公開しようとも思いません。雰囲気がわかる程度に写真は載せてますけどね。全くどんな人かわからないよりも、ある程度は人物像がわかるほうがよくないですか?安心感があるんですよね。なにに対する安心感かわかりませんけど。
他人を引きずり込みたい気持ち
ゴミの話に戻ります。例えば、ゴミ回収場に着いた瞬間、捨てる日を間違えたことに気がついたとします。同じように間違えた人がいて、すでにゴミが捨ててあったとしたら…。少し戸惑った末に、わたしも捨てるような気がするんですよね。「間違えたのオレだけじゃないし、ま、いっか。」っていうね。よくある悪い気持ちですよね。「あの車だってスピード出してんじゃん!なんでオレだけ捕まえるんだよ!?あいつも捕まえろよ!」っていうのと同じですね。
人間ってなんだかんだ言いながら、他人と一緒がいいんですよ。いいことも悪いこともみんなと一緒だったら平気なんです。だから、悪いことじゃなく、いいことをしたら、それをまわりの人が真似してくれて、いい輪が広がるんじゃないかと思うんですよね。でも、実際にはなぜか悪いことは伝染しやすいが、いいことは伝染しにくものなんですよね。
今朝のゴミ出しにふとそんなことを思ったのでした。