ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

「私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった」の感想

私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった

戦争という特殊な環境においても人々には日常があります。そこで、普通の人々はどのように生活していたのでしょう?本書は、第二次世界大戦中に書き残した16人の少年少女による日記をまとめたもので、なんでもない日常の中に訪れた戦争の悲惨さが描かれています。「私たちが子どもだったころ、世界は戦争だった」の感想です。

 

少年少女は日記を書き始めた

1939年夏、ナチスドイツによるポーランド侵攻から戦争ははじまります。そして、1945年夏、日本の全面降伏により戦争は終結します。16人の少年少女はポーランド、ソ連、ドイツ、フランス、英国、米国、日本に在住。それぞれの視点で戦争がある日常が語られます。

 

なぜ、少年少女はなぜ戦争に巻き込まれることになったか。なぜ、わたしは今、戦争とは無縁の平和な生活を送れているのか。世界大戦がはじめれば、生まれた国に関係なく、どこにいても戦争に巻き込まれます。生まれた国が違うというだけで、戦争に巻き込まれます。生まれた瞬間から戦争に巻き込まれる理不尽さ。どんなに努力して、懸命に生きても個人の力では戦争を回避できない理不尽さ。

 

日常に詰めよる戦争

本書を読んで感じたことは、「日常の中に戦争がある」ということです。戦争がはじまれば、自分が住んでいるこの場所に否応なしにそれは詰め寄ってきます。そんな異常な環境な中でも人々は日常生活を送らなければいけません。

 

戦争がはじまっても朝起きて、大人は仕事に行って、子どもたちは学校に行きます。夜には家族みんなでご飯を食べます。歯が痛くなれば歯医者にも行きます。けれども、空からは焼夷弾が降ってきます。敵兵はやってきます。昼だろうが夜だろうがお構いなしに命が脅かされます。

 

ベッドで寝ているときも空襲がはじまり警報がなれば地下室に避難します。そして、空襲が収まれば再びベッドで就寝。寝ないわけにはいきませんから、空襲直後も寝るわけです。そんな当たり前の日常に戦争はやってきて、日常を破壊していきます。

 

食料難

戦争がはじまれば食料は配給制になります。パン1切れさえも手に入ることがない日もあります。そうなると、食料の奪い合いです。少年は、配給された家族分の食料を家族に内緒で食べます。そんな自分がイヤになります。

 

父親は働きもせずに力づくで家族の食料を奪います。母がとりわけてくれるチーズの分量を少年は気にします。少しでも少なければ母親を罵倒します。そして、ベッドの中で「お母さん、こんな悪い子でゴメンね」と泣きながら眠りにつくのです。

 

生きる糧

こんな状況でも、まだ見ぬ女性との文通を楽しみにしている少年もいます。こんな状況だからそこ、それが楽しみだったんでしょうね。生きる糧になっていたんだと思います。少年は彼女といつか出会える日を夢見ていました。

 

戦争中でも手紙のやり取りはできるんですね。自分の思いを伝えるということが大切にされていたんですかね。手紙のやりとりが戦地とふるさとを繋げる役割を果たしており、生きる糧になっていたのかもしれませんね。誰かと繋がっているというのは安心感に繋がりますから。

 

なぜ日記を書いていたのか?

疑問に思いながら読んでいたのが、「なぜ少年少女は戦火の中、日記を書いていたのか?」ということ。「なぜ自分はブログを書いているのか?」と同じ疑問ですね。自分の気持ちや考えを残しておきたかったから?確かに生きていたという証し?ストレス解消?自分の世界に没頭できるから?

 

少年ユーラは息を引き取る直前まで日記を書いていました。死んだらどんなに楽だろうという思いと、それでも生きたいという思いを日記にしていました。わたしの母もガンを宣告されてから日記をつけていました。なにを思いながら書いていたんだろうか?

 

少年ユーラの日記

ユーラは慢性的な食糧難の中、かわりゆく自分の性格に苦しみます。食べなければ死んでしまう。母を騙し妹を騙してまで食料を手にいれようとする自分がイヤになります。「死にたい!生きたい!食べたい!ぼくはなんて堕落した人間なんだ!」戦争のために苦しみなながら、ひとり死んでしまうのです。

 

1940年 ドイツ軍がソ連侵攻 少年ユーラの日記

10月29日

顔がむくみ始めているとママが言った。すべて、栄養失調からきている。
勉強できるかどうかわからない。ここ数日、頭に浮かんでくるのは、数式ではなく、パンのかたまりだ。

(中略)

でも、いちばん悔しいのは、ぼくがここでお腹をすかせ、寒さにこごえ、ノミにまみれて暮らしているというのに、隣の部屋にはそれとはぜんぜん別の生活があるということだ。(中略)いわゆる妬みだ。でも、この妬みが克服できない。

 

11月9日

寝付くと、毎晩、パンやら、肉やら、ピロシキやら、ジャガイモの夢を見る。ぼくの性格はどうしてかいまや激変してしまった。

(中略)

狭い店のなかで、食料の争奪戦があり、大人たちが叫び、うめき声をあげ、大声をあげて泣いていた。ぼくは考えられないくらいの体力を使って、列にならばず店に入り、食料をやっと手に入れた。

 

この頃になると、街中では猫や犬や鳥をみかけることがほとんどなくなり、最初の食人が報告されます。絶望的になった母親が自分の赤ん坊を絞め殺し、自分の三人の子どもに他の子どもに食べさせたというのです。しかし、このような悲惨な状況は他の街に知らされることはありませんでした。

 

12月10日

「ひとの本性は、不幸時にまるごと出る」このぼくがそうだ。不幸はぼくを鍛えてくれず、弱くするばかりだった。

 

12月15日

ここで毎日生きのびてきた分、ぼくは自殺に近づいていく。本当に出口がない。なんと恐ろしい飢え!誰かに自殺用の毒を差しだされたら、その毒による死が苦しみをともなわず、夢見心地で死ねるなら、ぼくは手にとって毒を飲むだろう。ぼくは生きたい、でもこんな状態では生きられない!でも、ぼくは生きたい!じゃあ、どうする!

 

ユーラ少年は生きるために、家族にウソをつき、手に入れたパンを家族の分まで食べます。そして、そんな自分を責めます。パンを口にできない母親は次第に衰弱していきます。

 

ぼくはもう人間じゃない。ぼくの人生は終わった。ぼくを待ち受けているのは生命じゃない。ぼくはあまりにも堕落してしまった。(中略)死はぼくを連れていってくれないのか?でも、ぼくは早く死ぬことを、苦しみのない死を、飢え死にではない死を望んでいる。(中略)食べたい!食べたい!

 

1月3日

ママと妹は、ぼくと縁を切った。ママと妹はぼくを置いていく。ママと妹はここを出ていくが、あなたは出ていけない、と毎日ママに聞かされている。(中略)死、死が目の前に。死から逃れられない。病院に行かなくちゃ。全身しみだらけ・・・どうしたらいいの?神さま?ぼくは死んでしまう、死んでしまう、でも、生きたい、ここから出たい、生きたい!生きたい!

 

この数日後、母親と妹は彼をアパートメントに残し、疎開するために家を出ます。しかし、少年ユーラはもう歩くこともできなくなっていました。母親にも彼を抱きかかえるだけの体力は残っていませんでした。母親も疎開先に到着し、ひときれのパンを口にした数分後に息を引き取ります。妹だけが、この戦争を生き延びます。