カーテンの隙間から覗く隣人
僕の家の隣は以前は親せきが住んでいた。でも、なんだかんだあったらしく、その家を手放し、わずか600m先に引っ越した。どうせ引っ越すなら、もっと違う環境にしたほうが楽しいだろうにと思ったのだが、変化を好まない家族だったのだろう。
その引っ越しの時に「どうせ捨てるものだし、あげるわよ」と言われて、うちの母は馬鹿でかいキッチンカウンターをもらった。母は満足そうだったのだが、あまりにも我が家に馴染んでなかったので、母が亡くなった直後にすぐさま処分した。
隣の家にはよく遊びに行っていた。増改築を繰り返していた家だったので、なかなかに奇妙な作りであった。モノも我が家に負けないくらい沢山あった。
わずか四段の中階段が二つあった。トイレは確か三つあった。玄関も妙に広かった。平屋なのに部屋は十部屋くらいあって、それぞれの部屋に段差があって、子どもだった僕にとっては、その妙な作りが楽しかった。だけども、80歳を過ぎたおばあちゃんにとっては大変だったはずだ。
親せきが引っ越したあとは、しばらく空き家だったのだが、自宅を改装するための仮住まいとして期間限定で駅前に住む御夫婦が引っ越してきた。この時期には僕はひとり暮らしをしていたので詳しくは知らないのだが、「よく喋るおばさんよ」と母は言っていた。
聞き上手な母だったから、おばさんにとってはいい話相手だったのだろう。なにかと用事を作ってはうちに話にきていたらしい。
「ここはとてもいい環境ね。あの家を建て直すくらいなら、ここで暮らせばよかったわ」
おばさんはこの環境に満足そうだったが、母は迷惑そうだった。しばらくすると駅前の家は完成したらしく、また引っ越して行った。僕と母は駅前を通るときに完成したその家を見たのだが、三角屋根で木製平屋のそれはなかなかにオシャレだった。庭にはなぜか木のボートがひっくり返っていた。
そして、またしばらくは空き家になった。僕も実家の広い家でひとりで暮らすことになった。「このまま誰も住まない方が静かでいいや」という願いもむなしく、二つ隣の街から大家族が引っ越してきた。まあ、誰もいなかった間に僕の家には空き巣が入ってきたりもしたから、防犯上、少しくらい賑やかなほうがいいかもしれない。
荷物が運ばれてきた様子はあるものの誰かが住んでいる様子はなかった。たまに人の気配はするのだが、いまだにどんな人が越してきたのかもよくわからない。その状態は二カ月ほど続いた。
僕が庭掃除をしているときのことだ。不意に人の視線を感じた。隣の家からだ。カーテンの隙間からジッと誰かがこちらの様子を伺っている。それがご主人なのか、子どもなのかもよくわからないが、さすがに薄気味が悪い。
それにもめげず、僕はすかさずペコリと会釈をした。相手は慌てたことだろう。その相手はカーテンがなびかないように、自分の存在を知られないようにそっとカーテンを閉じた。
隣人も隣にどんな人間が住んでいるのかが気になっていたに違いない。だけども、そんなに気になるなら引っ越してくる前に、うちの様子を伺いにくるべきだった。
引っ越してきたあとに、もし僕がとてつもない変わりモノで、この地域のトラブルメーカーだということが判明したらどうしたのだろう。庭にラジカセを並べて朝早くから大音量でベートーヴェンの交響曲第5番「運命」を流すような人物だったら、きっと困り果てて、また引っ越しをするはめになったに違いない。
幸いにも僕は騒音が苦手なので静かに暮らしているし、越してきた隣人も普通の家族だったので、双方共に平和に暮らしている。