「梅ヶ谷ゴミ屋敷の憂鬱」の感想
梅ヶ谷ゴミ屋敷の憂鬱、著者は牧村泉さん。タイトルからしてゴミ屋敷をめぐる騒動かと思いきや、そういう話でもありません。
あらすじ
会社を辞めた夫が実家に帰ることになり、そこについていく妻。実家は寝る場所を確保するのもやっとのゴミ屋敷。モノで溢れ帰り、どうやって処分していいのかもわからない。
実家に住んでいるのは、姑ひとり。その姑は長い間、不動産屋に勤めていた。そこでいらなくなったモノを「どうせ捨てるなら」ともらって帰るうちに実家はモノで溢れ返った。
無駄に広い家だったから、モノを置く場所には困らなかった。姑はモノに対しては我関せず。姑の部屋以外のモノに関しては処分しても構わないという。
実家では姑との三人暮らしの予定だったが、同じタイミングで別れた妻との娘とその彼氏も同居することになった。娘の元にはストーカーが現れる。
娘との確執。別れた妻や姑との人間関係。友達との距離感。夫はなぜ会社を辞めたのか。夫の不倫疑惑は本当なのか。さまざまな思いが交差する。
ゴミ屋敷は単なる舞台
物語の冒頭にゴミ屋敷に関する記述がありますが、その後はゴミ屋敷とは関係ない人間関係メインの物語が進んでいきます。
姑がモノを集めたのには理由があった。モノが棄てられなかったのではない。単に棄てる機会を失っただけ。モノに囲まれて暮らすのが普通だからなんとも思わなかったのです。
ゴミ屋敷は単なる舞台です。ゴミをめぐる問題を期待すると肩透かしをくらうはめになります。棄てる、棄てないの押し問答。憎しみや苛立ち。そんなものはこの本には登場しません。
それはゴミか思い出か。モノはいつか誰かが処分しないと増えていく一方。人の手を借りないと勝手に消えてはくれない。人は棄てようとしても棄てられない思い出をたくさん抱えながら生きている。
結局は思い出と今をどう生きるか。人の感情や人間関係のほうがよほどやっかいなのです。昔の単なるモノ(ゴミ)に執着しているヒマなんてありません。