ミニマム コラム

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「悲劇の名門 團十郎十二代」の感想

團十郎

2017年現在の今、團十郎はいない。十二代目は2013年に亡くなっている。初代團十郎が生まれたのは1660年だから350年以上その名は続いている。

 

だけども途中で何度か團十郎不在の時期もあったし、初代の血がそのまま続いているかといえばそういうわけでもないらしい。それでも團十郎の名前がこれほど長く受け継がれてきたのは歴代團十郎の実力と努力の賜物だろうと思う。

 

歌舞伎の原点は出雲阿国という女性が踊ったかぶき踊りらしい。これが1600年頃の出来事。歌舞伎の初は女性だったのだ。

 

次第にそれは興行化されていった。そうなればチケットを売らなければいけない。女性がチケットを売るための手っ取り早い手段はなにか?身を売ることだ。これが風紀を乱すということで幕府から禁止された。

 

代わって広まったのが若衆歌舞伎と呼ばれる少年による歌舞伎だ。当時は男色は当たり前だったようで、結局これも風紀を乱すことに代わりはなかった。若衆歌舞伎も禁止された。

 

そこで広まったのが野郎歌舞伎といわれる今の歌舞伎のスタイルである。この原点を作り出したのが初代市川團十郎である。荒事を得意としていた。隈取や見得、六方など「これぞ歌舞伎!」といったスタイルはここから始まっているらしい。

 

しかし、この歴代の團十郎はなにかと色々ある家だった。次の團十郎になるであろう十一代目海老蔵をみればわかる。妻を早くに亡くしたのは悲劇だし、自身も傷害事件を起こし舞台へ上がることを禁止されていた時期もある。

 

  • 初代  舞台上で刺殺される
  • 三代目 22歳で病死
  • 六代目 22歳で病死
  • 七代目 江戸を追放される
  • 八代目 32歳で自殺
  • 十一代目 團十郎襲名から三年半で亡くなる
  • 十二代目  白血病と闘いながらも66歳で亡くなる

 

ざっとこんな感じだ。 350年以上もの歴史があれば、色々あって当然だ。初代が舞台上で殺されたというのは衝撃的。昔は人生五十年であったことを考えても、團十郎の名を継いだものは短命であるように思う。

 

当代の海老蔵も短命であることを自覚しているようで、だから生き急いでいるのだという話を聞いたことがある。

 

伝統があれば保守的と思われがちな市川宗家だが、実はそうではない。常に改革を行っていた。九代目のライバルだった五代目菊五郎もそれに影響され「散切り物」という芝居をしていたよう。

 

これは当時の「現代」を演じたもので理髪師や牛肉屋が登場し、駅まで出てきたらしい。しかし「最新」のものはすぐに「時代遅れ」となり定着はしなかったようだ。古典が長く受け継がれてきたのは、それなりに理由があるようだ。

 

歌舞伎の世界も人間関係というのは重要かつ面倒なもののようだ。それは初代から延々と悩まされていたよう。「誰々がこういったから舞台には上がらない」とか「部屋割りが気に入らない」だとか。それが結果として團十郎の地位を守り続けてきたのかもしれない。

 

僕は澤瀉屋を贔屓にしている。初代猿之助は團十郎の門下に入るが、許可なく勧進帳を演じ破門となる。そのエピソードは本書の最後のほうにようやく登場する。市川宗家の歴史からすれば、最近の出来事だったようで。

 

澤瀉屋と成田屋の関係を見ていると、決していい関係というわけでもなかったよう。どうも澤瀉屋が礼儀を欠いていたようだ。三代目猿之助もへんなプライドがあったように思うが、そういう気持がいい方向へと向き、スーパー歌舞伎へと繋がっていったのだろう。

 

さて、次の團十郎は今の海老蔵。この襲名披露を東京オリンピックの時期に重ねて、大々的にアピールしようという思惑もあるらしい。これもまた歴史として綴られていくのだろう。僕がみているのは歴史のほんの一部に過ぎない。