リアルに想像できることの大切さ
朝のウォーキングの道中に防波堤がある。右も左も海。とても穏やかな海。
「ゴジラが出てきたらどうしよう」
僕は海の中の巨大生物がとても苦手だ。理由はわからない。とにかく苦手なのだ。サメはもちろんのこと、クジラもイルカも好きではない。自分より大きいものがユラユラとそこを泳いでいると考えただけでゾッとするのだ。こうやって文章を書いているだけでも背筋が寒くなる。だからゴジラも苦手だ。
ゴジラってたいてい海の底から現れるよね。ザパーンと大波をたてて。それをウォーキング中にリアルに想像してしまって、僕はひとりで勝手に薄気味の悪いなにかに包まれてしまっている。
防波堤の向こうから突然、大きな頭のゴジラが現れる。そのまま立ち上がると、とてつもない大きさ。しかし、そんな悠長なことができる状況にはない。その勢いで荒くなった波に僕は足元をすくわれる。
僕は倒れ、防波堤のコンクリートに体を強打する。痛いなんて考える隙も与えられず、波に押されて海に落ちてしまう。
体中が痛い気がするが、このままでは溺れてしまう。なんとかあの岸までたどり着かなければ。必死にもがく。ゴジラは小さな僕の存在などまるで気にしていない。ターゲットはあの工場のようだ。
ゴジラの想像はここまで。僕は防波堤を離れてしまったから。
リアルに想像するということは大切だと思う。ゴジラの出現をリアルに考えてもしかたがないけど、例えば交通事故。
歩行者として跳ねられたときの痛み。自分の体は宙を舞って、硬いアスファルトの上に叩きつけられるだろう。その鈍い痛み。頭を強打すれば、脳がグァングァンと鼓動する。通常の痛みではない。死を感じる痛みだ。
例えば、刃物で切ったときの冷たい痛さ。キリッと冷えるような直線的な痛み。流れるどす黒い血。止血したハンカチがみるみる赤く染まってゆく。
そういう痛みがリアルに想像できるか?想像なんてしたくないなんて思っちゃいけない。想像だけであれば現実の自分は痛くないのだし。重要なのは、その痛みが現実のものとならないために自分がすべきことを考えることだ。