ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

「日本を捨てた男たち」を読んでの感想

日本を捨てた男たち

以前に「だから、居場所が欲しかった。」 を読んでなかなか興味深かったので、同著者の「日本を捨てた男たち」を読みました。サブタイトルは「フィリピンに生きる困窮邦人」

 

困窮

  1. 困り果てること。困り苦しむこと
  2. 貧しいために生活に苦しむこと

 

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タイトルには「捨てた」とありますが、日本に居場所がなくて「逃げた」という印象が強い。逃げたくせに強がって「捨てた」と言い張る。そんな印象です。

 

本書に出てくる男たちの多くはフィリピン女性にはまり、彼女らを追いかけてフィリピンに行く。その女にみつぐだけみついでお金がなくなったら捨てられる。金のない中年男に用はないわけですね。そりゃ、そうなるだろうさ。

 

そんな男たちは日本に帰る金もなく、そのうち不法滞在となり、罰金を支払うこともできない状態となる。だから、そこにいるしかない。

 

フィリピンの人々は困っている人をみると放っておけないようで、彼らの支援を受けて困窮邦人たちはなんとか生き延びている。

 

こんな人たちだから、日本にいる身内は誰も助けてくれない。親の金までむしりとってフィリピンに移住したのだから、親は助けたくても助けられる状態にない。年金生活で自分たちが暮らしていくのに精一杯。手を差し伸べるすべがすでにない。

 

こんな状態を「自業自得」ですましていいのか?という問いかけがなんどか出てきます。僕的には完全に「自業自得」だと思う。

 

フィリピン人女性に騙された面はあるかもしれないけど、そんなのは薄々わかっていたことでしょう?還暦前の男と20歳そこそこの女が結婚をする。しかも女性にとって相手は外国人。お金を持っていそうな日本人。繋がっているものはそれしかないでしょう。それを手に入れて、自分の親や兄弟を楽にさせてあげたかったのでしょう。

 

本書に出てくる男たちに共通してもった印象は「できるだけ関わりたくない人」ということです。なにかと言い訳をして自分を正当化する面倒な男といったイメージ。僕の会社にも何人かこういう人がいるよなぁなんて思いながら読みました。

 

彼らは「窮屈な日本にいるのは性に合わない」「南国のあたたかい国でのんびりくらしたい」なんていいながら結局は困窮邦人となっているわけですね。どこにいたって、本人にその気がなければ、しあわせになんてなれないと思う。本人がそれでよければ、他人がどうこういうことでもないとも思う。僕は彼らに共感はしない。