ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

「遺言 桶川ストーカー殺人事件の深層」を読んでの感想

桶川ストーカー殺人事件

1999年に埼玉県のJR桶川駅前で女子大生が白昼堂々殺された事件。犯人は交際相手の男とその仲間。仲間のひとりが金で雇われて殺人を犯したのだった。殺されるまでにも執拗なまでの嫌がらせや脅迫行為。

 

これらを警察に相談するも警察は対応するどころか、告訴を取り下げるようにいう。要するにこの事件自体をなかったことにするということだ。頼りになるべき警察が全く頼りにならない。女子大生は「私が殺されたら犯人は小松」と言い残し、その通りに殺されてしまう。

 

主犯格と思われる男はのちに自殺。結局、罪に問われることはなかった。 

 

そして問題視されたのが警察の対応。この動画をみただけでも警察対応の不快さがわかると思う。

 

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人が殺されてるのに、なぜこうもヘラヘラできるのだろう。人としてどうかと思う。

 

「よーく考えたほうがいいよ、全部みんなの前で話さなくてはいけなくなるし。時間かかるし、面倒くさいよ」

 

「そんなにプレゼントをもらってから別れたいと言えば、普通は怒るよ男は。だってあなたもいい思いしたんじゃないの?」

 

これらは対応した警察の発言。最後のとりでのつもりで相談先で「お前も悪い」というようなことを言われれば、目の前は真っ暗になるだろう。誰も助けてくれる人はいない。誰も頼りになどならない。

 

「風俗嬢だった女子大生」

「ブランド依存症」

 

事実を歪曲してマスコミは被害者をこう報道した。二週間だけお酒の飲める店に努めれば風俗嬢。加害者から無理やり渡されたブランドものを身に着けていればブランド依存症。殺される理由がそこにあるとでもいいたかったのだろうか?

 

また、これらの情報は警察から流されたものだった。グッチの腕時計やプラダのリュックサックを持っていたと発表した警察。被害者がどのようなブランドモノを持っていたかなど普通は発表されるものではない。まさに印象操作だ。

 

この記者はなぜここまでこの事件に深入りしていったのだろう。自らの命の危険を感じながら。頭では危険だと思いながらも、自然と足が前に進む。自分でもわからなかったんじゃないなと思う。 

 

僕の仕事のことと比べるのもアレだけど、僕も「なぜこんな面倒な仕事を引き受けてしまったのだろう?」と不思議に思うことがある。それをやったところで給料がたくさんもらえるわけでもない。なにも僕がやらなくてもいい。誰かがかわりにやってくれればいい。

 

この気持ちの違いが本書を書いた記者と警察の違いだと思う。警察がまともに動いていれば、この記者がここまでする必要はなかった。

 

腐りきった組織というのはどこにでも存在する。僕の会社にもそれはある。なぜだか、その組織に属すると人が腐ってしまうのだ。最初は頑張ろうと努力するのだけど、どうにもならない状況にあきらめてしまうのだろう。そのほうが楽だからだ。

 

「被害者にも落ち度がある」と考えれば、真剣に犯人を捜す必要もない。だって、殺されても仕方がないのだから。それ以前に事件そのものをなかったことにしてしまえば、もっと楽だ。今日も平和な一日だったのだから。

 

きっともみ消されている事件も多くあるのだろうなぁ。表に出てこなかったら、誰も知ることはできないのだし。そもそもそんな事件は存在しないのだし。

 

その先を知りたいと思いながらいっきに読んだ一冊でした。

 


遺言―桶川ストーカー殺人事件の深層