ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

「心にナイフをしのばせて」を読んでの感想 28年前の酒鬼薔薇事件

心にナイフをしのばせて

神戸連続児童殺傷事件いわゆる酒鬼薔薇聖斗事件が起きたのが1997年(平成9年)。そこからさかのぼること28年。過去にも類似の事件が起きていた。1969年(昭和44年)に起きた高校生首切り殺人事件(サレジオ高校首切り殺人事件)である。

 

「やはり豚に似ているな」

 

加害者Aは被害者Bと遊びにいった。Aはなぜだかナイフを持っていた。それを自慢したくて、みせびらかしたくてBに見せた。そしてかえってきた言葉が「豚に似ている」という言葉だった。気が付いたら、ナイフで刺していた。

 

もちろんこの言葉だけで刺したわけではない。いじめがあった。日々の嫌がらせがあった。その積み重ねが悪意ある言葉をきっかけに爆発した。

 

でも本書では、いじめはなかったと記述しています。小突いたり、ささいなイジリはあったが、いじめではなかった。僕はこれに違和感を感じるのです。いじめる側といじめられる側の圧倒的な温度差。だから、殺されていいということには絶対になりませんが、そこに理由がなかったという書き方もどうかと思う。

 

blog.livedoor.jp

 

Bはナイフで刺したあと、ある程度時間が経ってから首を切断します。Aが起き上がってきて仕返しをされるのがこわかったからというのがその理由。首を切断したあとに「大変なことをした」と冷静になり、偽装工作として自分の左肩をナイフで切り、そのナイフを土に埋める。

 

学校に戻り「おかしなやつらにおそわれた」とウソをつきますが、話は矛盾だらけで、けっきょくは警察に保護されます。

 

犯行を犯した当時の少年は15歳。ですので少年法により守られます。少年院に入っていたのは3年程度。少年院を出たAは、そこからは普通の人として生活できる。

 

本書の最後で著者は少年Aのその後を暴きます。Aはなんと弁護士として法律事務所を運営していたようで、著者はご丁寧にもその事実を被害者Bの家族に伝えます。

 

ようやく平穏な日々を暮らせることになったのに、この理不尽な事実をつきつけられて、家族は戸惑います。著者のこの行動は正しかったのでしょうか?僕はやってはいけないことだったと思う。知らなくてもいいこともある。こんな理不尽な事実を突きつけられて、気持ちを再びかき乱されて。

 

正義とはなんでしょう?著者は自分の行為を「正義」だと結論付けたから、このようなことを行ったはず。誰もしあわせにならない事実だったら、封印されたままでいい。

 

本書では事件から何十年たっても苦しめられつづけた家族の様子が、被害者Bの妹さんの語り口調で綴られています。それがこの本のメイン。

 

何年もほぼ寝た状態で過ごした母。気丈にふるまいながらも影では泣いていた父。最後はガンで亡くなります。

 

妹は家族や学校に反発しながら生きます。世間の視線も相当なストレスになっていたよう。死ぬつもりもなくリストカットを繰り返します。

 

本書を読んだあとにネットでも調べてみたのですが、本書の印象とは違うように思いました。精神鑑定書の一部は公開されているようで、それを読んだだけでも加害者、被害者の印象は変わります。

 

高校生首切り殺人事件 精神鑑定書

 

この本を読んで感じたのは「本というのはおそろしい」ということ。その内容がどうであれ、後世まで残って、こうやって僕らがそのことを知ることになります。図書館や本屋でふと手にすることができる。

 

そこに書かれていることを鵜呑みにするのではなく、自分なりに考え、どう感じるかが大切なのだなと改めて思いました。

 


心にナイフをしのばせて (文春文庫)