ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

さようなら、この部屋

さようなら

今日でこの部屋ともさようなら。三ヶ月前にこの地に越してきた。月並みだが、あっという間だった。

 

僕がこの地で仕事をはじめた日に大阪で地震があった。それから西日本の豪雨、台風。北海道の地震。この夏が猛暑だったことを忘れるくらいに日本中が大変な夏だった。

 

そんな中、僕はこの地で穏やかに過ごさせてもらった。朝の散歩をするのが楽しい土地だった。大きな川に大きな橋。そこを歩いて渡ることをひとつの目標にしていたが、それも達成した。

 

海の広大さは格別だった。僕がみてきた海とはまるで違う。砂浜があって、海があって、空がある。逆にいえば、景色の中にはそれしかなかった。

 

地元の人に「この海はすばらしい」ということを力説してもそれは伝わらなかった。当たり前すぎる景色には感動しないものなのだ。僕にとっては当たり前すぎる地元の景色も別の誰かからすれば格別なのだろう。

 

行きたかったお店にもいけたし、まるで繋がりのなかった人とも飲みにいけた。そして僕が感じている以上に僕の存在をみんなは認識してくれていて、面白がってくれていることを知った。

 

これらの飲み会を通じて「ここには僕の居場所がある」と思ったし、またここで仕事をしたいと思った。

 

僕はこれから二ヶ月半を地元で過ごしたあと、ふたたびこの地に戻ってくる予定。先日の上司との話し合いでは、とりあえず東京オリンピックが終わるころまでは、ここで仕事をするつもりだ。でも、その頃には上司は定年だし、まだ少し先のことだから、どうなるかはわからない。

 

総じて楽しい三ヶ月間だった。地元にいてもここにいても結局は普通に暮らして普通に仕事をしているだけだ。圧倒的な違いは「人」だ。

 

仕事のやり方は昔ながらだし、「バタバタしている」=「頑張って仕事をしている」といった風潮があるのも確かだ。もっと効率的な仕事のやり方ができるはず。その仕事のやり方を変えるために僕は呼ばれた。

 

僕は今、ここの仕事のやり方をかえようとしている。でも、それは「この職場のよさ」をも変えてしまわないだろうか。

 

人は便利さを手に入れると、別のなにかを失う。それを僕はやってしまわないだろうか。僕ごときがそんな心配をすることはないのだろうか。そこまでの力はないか。

 

歩み始めた道を後戻りする選択肢はない。僕はただただ前に進むだけだ。

 

しばらくさようなら。