ミニマム コラム

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「殺人犯はそこにいる」を読んでの感想

殺人犯はそこにいる

「隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件」がこの本のサブタイトル。 最初の誘拐殺人事件がおきたのが1974年。それから1996年までの間に北関東の半径20km以内で5件の類似事件がおきている。いずれも女児が被害者となっている。

 

実は犯人とされた人物が逮捕されている。だが、それは冤罪で逮捕から17年後に無罪が証明された。その間に事件は時効をむかえてしまい、未解決のままとなってしまった。

 

本書を読んでいて腹正しいのは、なんといっても警察の対応です。それは桶川ストーカー殺人事件のそれにも共通した、なんとも歯がゆく不愉快な思い。

 

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誤認逮捕のきっかけはDNA鑑定。DNAが一致したから犯人だ!という理由です。しかし、本書によれば、かなり疑わしく信憑性に欠ける検査だったようです。しかし、警察はDNA鑑定の間違いを決して認めようとはしなかった。警察には守りたいものがあったからです。それは警察以外からすれば、とてもくだらないもの。

 

17年後の2008年12月にようやく再鑑定が行われ、「犯人ではない」という結果が出て翌年に無罪が確定します。

 

しかし、これがきっかけで別の事件に対するDNA鑑定の疑惑も発生します。それが飯塚事件です。1992年に福岡でおきた女児殺害事件。犯人とされた人物は女児と同じ校区に住む男。逮捕のきっかけとなったのは状況証拠によるもので、このときのDNA鑑定はあくまでも参考程度だったようですが、疑惑のDNA鑑定でした。結果、死刑となります。

 

この死刑が執行されたタイミングがなんとも妙なのです。死刑が確定してから執行されるまでの期間は平均で7年程度。飯塚事件に限っては確定から執行までの期間が2年という短さ。なぜ急いだのか?

 

足利事件のDNA再鑑定は2008年12月ですが、それより前の10月半ばころからマスコミではこの件が話題になり、世間をにぎわせていました。まさにその最中の死刑執行だったのです。

 

これでは「事が大きくなる前に死刑にしてしまえ!」と勘繰られても仕方がないでしょう。

 

僕は死刑制度には「反対ではない」という考えでしたが、冤罪のことを考えると「果たして死刑制度は存在してもいいものなのだろうか?」と考えるようになってきました。死んでしまったあとに無罪が証明されても、取り返しがつかないことのおそろしさ。

 

警察の無茶な取り調べで無理やり自白させられ、その結果、殺されてしまう。間違ったDNA鑑定。思い込みの捜査や目撃証言。すべてが自分に不利な状態。死刑が言い渡されて死に怯えながら暮らす毎日。想像もしたくないですね。でも、現実にそのような体験をした人はいて・・・。

 

無念の死を迎えた人は想像よりも多くいるのかもしれません。人が人を裁くのって難しいですね。なにが真実かなんて他人にはわかりようもない。

 

夢中で読ませられる一冊です。是非、読んでいただきたい。

 


殺人犯はそこにいる―隠蔽された北関東連続幼女誘拐殺人事件―(新潮文庫)