ミニマム コラム

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「でっちあげ」福岡殺人教師事件の真相を読んでの感想

でっちあげ

平成15年におきた小学校教諭による教え子へのいじめ事件の真相を綴った本書。「史上最悪の殺人教師」といわれた小学校教諭。果たしてその真実は?

 

結論からいえばほぼ冤罪。モンスターペアレントによって行われた茶番劇でした。しかし、その茶番劇により、男性教諭は停職6ヶ月という重い処分を下されます。この間、給料が支払われることはありませんから、たいていの場合は退職にまで追い込まれるようです。しかし、退職すれば罪を認めたことになり真実は明かされないと考えた教諭はその処分にも耐えます。

 

本書の前半部分は読むに耐えないです。読んでいてムカムカしてくる。このモンスターペアレントの対応に。そして校長の対応に。気分が落ち込んでいるときには読まないほうがいいと思います。これ、マジで。

 

後半で徐々に希望の光が見えはじめてきます。裁判でもモンスターペアレントの発言のほとんどは嘘と判断されます。が、教諭による体罰があったことも認められます。体罰があったかなかったかで言えば、体罰はあった。しかし、それは軽微なものだったという判断です。

 

教諭自身のあいまいな態度もこの結果を招いたようです。ことを丸く収めるために一旦は体罰を認めていた。市も学校もそれを認め、処分も下しました。その事実によってこのような裁判結果となりました。

 

事件当時はマスコミも含め全国的なニュースとなったようです。なにせ教師が自分の教え子をいじめて死ねとまで言ったとされていたんですから。

 

読んでいて不思議だったのは、なぜこれほどまで多くの味方がこのモンスターペアレントにいたのかということ。550名もの原告側弁護団。男児をPTSDと診断した医師。教師によるいじめはあったと報道し続けたマスコミ。このモンスターペアレント夫婦は保護者の間では有名だったようで、面倒ごとに関わりたくないと保護者の支援を受けられなかったことも不運でした。

 

どうしてこの茶番にこれほどまで多くの人が気が付かずにいたのか。正義を信じて盲目となったか。こうと決めつけると、それ以外のことがみえなくなることはよくあります。おかしいことに気がついても後戻りできない状態になることもよくあります。そんな状態に陥ったのでしょうか。それとも平然と嘘をいうモンスターペアレントの発言にまんまと騙されてしまったのでしょうか。

 

一方で本書に関しても同じことがいえると思います。あまりにも教師側の偏っている気がする。書いてあることを鵜呑みにするのもこわい気がします。

 

ところで、この両親はどうしてモンスター化してしまったのでしょうか?僕が自分の経験に基づいて考えた場合、「過去に教師から受けた理不尽な行動」がその原因になるように思います。

 

僕は学校の先生に対しあまりいい印象はありません。それは中学時代の嫌な思い出によるところが多い。

 

僕は曲がったことが嫌いです。その相手が例え、学校の先生であっても。納得がいかなければ、納得がいくまで問います。それが生意気と写ったのでしょう。中学生時代は先生に目をつけられることになります。

 

それはまさに先生によるいじめでした。ありもしないことで怒られる。嘘をついてまで僕を叱る。親が呼び出されたこともあります。そこで先生の嘘がバレます。僕の親はモンスターではありませんでしたから泣き寝入りです。まあ、親は理解してくれたので僕的にはそれでよしとしました。

 

あるときには「人の目をみて挨拶をするな」と怒鳴られました。朝の朝礼で、ふと先生と目があいました。僕ら生徒は先生に対して「おはようございます」と挨拶をするので、先生の方を向くのは当たり前のこと。目が合うとすごい顔で睨み返してきました。そして、なぜか怒られました。あの顔、あの場面は今でも忘れられません。

 

こんな先生と関わったことがある人間であれば、先生に対する不審、不満が爆発しても仕方がないかもしれません。いつか仕返ししてやろうと。「先生」というだけで仕返しされるのも理不尽な話ですし、だからといってモンスター化してもいいという話にもなりませんが。 

 


でっちあげ―福岡「殺人教師」事件の真相 (新潮文庫)