シャーマンと不思議な世界
シャーマンに不思議な世界に連れて行ってもらったっていうブログを読んで「あれ?僕、この感覚、知ってる」って思った。
いや、シャーマンなんてあったことないし、おかしな液体を飲んだこともないんだけど、瞬間的にそう思った。知ってるはずなんてないんだけど。
自分という存在がどこにあるかわからなくなってしまうという感覚。自分の意識、つまり今それを考えている(もしくは感じている)自分が自分の内側にいるのか外側にいるのかわからなくなってしまう感覚。つまり自分は無になったんだ。
そもそも自分ってなんなん?自分が無となったときに、内も外も、なーんもなくなるわけだから、じゃあ、この意識はどこからくるもんなん?って混乱してしまう。無からなにかが生まれるはずはないだろう?
これに似たような感覚に陥ったことはある。小さいころに。そんときも「自分ってなんなん?」って真剣に考えたんだよなぁ。
なんで自分は自分なんだろう?鏡に映っている自分が自分なんだろうけど、ホントにそうなんだろうか?って。
なぜ自分が自分として生まれてきたんだろう?自分は友達のまさおくんでもよかったわけじゃない?まさおくんであったなら僕は今、教室の一番前の席に座っていなくて、窓際の後ろから二番目の席に座っていたんだろうなぁって。
カスミちゃんだったら、僕はこっちの方向に帰るんじゃなくって二丁目の角っこのマンションのエレベーターに乗って帰っているんだろうなぁって。そして今のお母さんじゃなくて、カスミちゃんのお母さんが作ったご飯をきっと食べているんだ。
鳥でもよかったかもしれないけど、僕はどうやって空を飛んだらいいのか困ってしまうなぁ。誰かが飛び方を教えてくれるんだろうか。それとも飛べないまま別の鳥に食べられてしまうんだろうか。そしたら、次はなにに生まれ変わろうか。
自分という存在を真剣に考えて、頭が混乱して、得体の知れぬ不安に包まれたことがあったなぁ。そして、そのまま寝ちゃったんだ。次の日にはそんなことに悩んでいることさえも忘れて、今日もいつもの日だった。
シャーマンの不思議な世界では時間の感覚がまるで違うらしいんだ。僕はそれも知っていた。この世界の五分がそっちの世界では半日にも感じる。そもそも、どっちの時間の流れが正しいんだろうね。
そして、僕はこの感覚をどこで知ったんだろうね?
あんまり考えると、また得体の知れぬ不安に包まれるから、考えるかわりにブログに残しておくことにする。そしたら、明日はなにかが変わるかな?