常識が通用しない人への対応方法
先日も記事にしたこの件がずっと頭の中にあり、モヤモヤしていた。
ひと悶着あったあとに追加の作業が発生した(追加作業は当初の予定通り)のだが、これがまたどうにも納得がいかないのだ。
LANケーブルの敷設工事なのだが、その工事の仕方がどうにも雑過ぎる。センスがないというか。
普通、LANケーブルとか電気配線ってのは床下とか天井裏とかに隠すものでしょう?コンクリートむき出しのおしゃれカフェだって、さすがにゴチャゴチャとした配線は隠したいはず。
「こういう方法しかありません」
と提案してきたのは、配線むき出しの設置案。LANケーブルだけなら100歩譲って仕方がないとも思うが、パソコンについているような電源アダプターやバッテリーも壁に固定させなければいけないというのだ。
先ほど壁と申しましたが、実際には天井です。天井に電源アダプターやバッテリーが貼りついている状態。うーん、どう考えてもおかしい。
どうにかしてこの案をいいように解釈しようと頭で考えるのだが、どう考えたっておかしい。
「いかにも複雑で面倒な仕事をしているってアピールがわざとらしいですよねぇ」
同僚に相談したところ、こんな返事が返ってきた。
わざとらしい
そう、そうなんですよ。やることなすことが実にわざとらしいんです。こんな取り付け方をしたのでは、まるで僕がセンスがないみたいじゃないか。
この案を提案してきたのは、先日の記事にも書いた老害さんと若くして老害さんのふたりです。
「この方法しかありません」
と頑として譲らない。もっと普通の方法があるでしょうよ?と思うのだが、その「普通」という感覚が一致しない。
こういうタイプの人間はどの職場にもどの地域にも一定数いるのは知っている。例えるなら、昼夜問わず大音量で音楽を流し続けるご近所さん。例えるならゴミ屋敷を作り上げてしまうお隣さん。
常識が通用しない人を相手にする方法が僕はわからない。「どうすればいい方向に解決できるか」を話し合いたいのだが、相手は解決したいという意思も持っていないし、いい方向の認識も一致しないのだから打つ手がない。
この週末、このことが頭から離れなかったんだけどね、いい方法を思いつきました。
追加工事をあきらめる
理想を言えば、追加工事をしてあるべき姿にしたいのだけど、それをすることによって事態は悪化する。
僕の中に「追加工事をしなければならない」という固定観念があったのだが、それを払しょくするといとも簡単に答えが出た。
あるべき姿からは遠ざかるが、現状のままでも大勢に影響はない。アホとは戦うなというのが僕が導き出した結論。