ミニマム コラム

執着せず。最低限のモノで。日常の共感。

言葉選び

「どーも」という言葉が気軽でなかなかに使い勝手がいいので、最近よく使っている。

 

お店を出るときに

 

「どーも」

 

なにかを受け取るときに

 

「どーも」

 

場合によっては「どーもです」になるし「どもー」になることもある。最も仕事上において、それを使うことは失礼にあたる場合が多いので使うことはないのだけれど。

 

僕は「ありがとうございます」を多様する人があまり好きではない。

 

「紙袋とビニル袋はどちらがよろしいですか?」

 

「紙袋で」

 

「ありがとうございます」

 

この場合のありがとうが何に対するありがとうなのかがわからない。とりあえず、ありがとうって言っておけば、間違いないだろうという気持ちが見えてきて好きくない。なんとなく会話として違うような気がするのだ。

 

僕も「ありがとう」という言葉の便利さからそれを多様していた時期があった。あれはテレビの中だっただろうか、「どーも」という返答をしていた場面を見て「あ、これいいね」と思ったのだ。

 

「どーも」

 

悪くない。ありがとうというには重すぎるが、なにも言わないのは感じが悪いなんていうときに気軽に「どーも」

 

「どーも」が似合う年齢になってきたのだと思う。あまりにも年齢が離れた年下に「どーも」なんて言われたら「なんだこいつ」なんて思ってしまうだろう。

 

ここまで書いておいてアレなんだけど、僕ってなんだか面倒くさい人間に思えてきた。

 

まあ、それはさておき、

言葉のチョイスって大切だと思う。「悪い」というか「よくない」というか。前者は真っ向から否定されているようで感じが悪い。後者はそのニュアンスが少し緩和される。

 

言葉選びひとつが人間関係にも影響するのだから気をつけたいものだと思う。

化かし合い

結局、組織変更の具体的な話はなかったわけで。昨日のブログの続きの話。

 

この春に組織変更が予定されているんだけど、僕が所属している組織をそのまま残すわけにもいかないらしく、「じゃあ、どうするか?」という話し合いが行われる、、、ものだと思っていた。遠くにいる僕の上司が僕の元に訪問してくれるこのタイミングに合わせて。

 

お昼に蕎麦を食べながら、それっぽい話はした。

 

「実はね、組織変更が行われるんだけどね。うちの部署からも人を出すかもしれないんだ。でも、具体的にはまだなにも決まっていなくてね」

 

僕はこの件に関しては事前に情報を得ていた。でも、知らないふりをしなければいけない。

 

「え?そうなんですか?」

 

なんてタヌキなんだろう。でも、この上司も相当なタヌキだ。タヌキとタヌキの化かし合い。

 

「あなたの立場でなにも知らないわけはないでしょう?むしろ、あなたが推進役でしょう?」と思うも化かし合いを続ける。

 

「でも、僕には影響ない話なんですよね?」という僕の質問に上司はなんと答えたか、僕は覚えていないのだ。きっとうまくはぐらかされたのだと思う。

 

誰も知らないはずの話を皆が知っている。皆が知っている話を知らないふりをして進める会議。

 

「来年度の仕事はこのように進めようと思っています。よろしいですか?」

 

あぁ、こんなことをこのメンバーで話し合っても意味がないのに。この人たちには来年度以降の権限などないはずなのに。

 

水面下で動いているはずが、皆でゴーグルをつけて水中の様子を伺っているものだから、なんとなくの様子は知っている。だけども、水中はどんよりと濁っていて、その先の様子までは見えてこない。

 

様子が見えてくるのは梅が満開になる頃だ。

自分だけはまとも

さて、今日は僕の上司がやってくるわけで。きっと、組織変更の件と今後の僕の身の振り方についての話になるのだと思う。

 

だけども、僕はこの件に関しては知らないふりをしなければならない。事前に情報ローエーをしてくれたのは僕の前の上司で、次の上司になる人。いろいろと情報をくれるのでありがた人。

 

ってゆーか、組織変更の件を知らずにいたら僕はとんでもないピエロになるとことだったよ。全く意味のない提案をするところだった。今の組織、今の上司であることが前提での今日のご相談内容なのだから。

 

僕が所属している組織は3年ごとに所属が変わる。現場とその他関連部署の間を取り持つようなチームだから、どこに所属しても違和感があるのだ。

 

だからといって邪険にされるわけでもなく、だからといって仕事内容が変わるわけでもなく。

 

組織ってのは不思議だよなぁと思う。誰かの思いで組織変更が行われ、統合されたり再編されたり。でも、その実、仕事内容はなーんも変わらなかったり。

 

そのたびに忙しいのは総務とか印刷屋さん。名刺を作り直しては、ほとんど配ることなく、そのまま廃棄となる。もったいなと思いつつも使い道がないのだから捨てざるを得ない。

 

個人個人で接すればいい人ばかりなのに、組織という集団になった途端におかしくなる。きっと僕もそのひとり。

 

「自分だけはまとも」と思いながら、みんな仕事をしているのだ。

左と右のバランスの問題

「アズさんはいつも左足が短いですよね」

 

いつもお世話になっている整体師さんにそう言われた。僕は左足の方が短いのだという。

 

仰向けの状態で右足と左足を並べてその差をみる。「そんなの並べ方次第だろう」と思うも、そんないい加減な測定をしたところで整体師さんにはなんのメリットもないのだから嘘ではないのだと思う。

 

骨盤周りの調整をしてもらう。体のバランスも整える。終えたあとに、また両足を並べてその差をみる。

 

「整いましたね」

 

と言われるも、自分では確認のしようがない。

 

右足と左足の差が生じるってどういうことだろう?僕は普段の生活に注意を払ってみることにした。すると、僕は普段から右足に重心をかけるくせがあることに気がついた。

 

料理をしているときでも歯を磨いているときでも、くせで右足に重心をおいてしまう。

 

これが原因なのではないかと思い、できるだけ左足に重心を置くようにしている。でも、意識していないとついつい右足に重心がいく。

 

ストレッチや筋トレをしているときでも、体の左側が弱いことに気がついた。右足に重心をおき左足を伸ばす動作はなんてことないのだが、その逆をしようとすると、途端に難しくなる。全然、力が入らないのだ。

 

右ききのくせなのだろうか?とすれば、たいていの人は体の左側が弱いのだろうか?

 

「あなたは左足の方が短いですか?」なんて他人に質問することもできないから、その真意はわからない。

摂取

「あの人、ケチだから1枚しかくれないんですよね」

 

入手が困難になったマスク。それをある人から譲り受けた彼女の感想。

 

ケチだから

 

どうして「貴重な一枚をありがとう」と思えないのだろうか?と思った。もちろん、この件に関しては僕は全く関係ないのだし、それを彼女に伝えたところで、不機嫌になるだけなのだろうから黙っておいたのだけれど。

 

自分を中心にしか考えられない人というのは多くいる。思ったよりも多くいる。僕はその人たちを反面教師にしている。日々の自分の言動に注意している。

 

自己中というのは嫌われる

 

他人からなにかを摂取しようとする人も嫌われる

 

だから金持ちは嫌われる。やっかみを受ける。

 

「あの人は私よりも多くを持っている。くやしい」

 

自分の努力など棚に上げて。

 

マスク一枚。されど一枚。譲った方にとっても貴重な一枚だったかもしれない。うらめしそうにされて、仕方がなく譲った一枚だったかもしれない。それを親切心で譲ったばかりに影で言われてしまう戯言。

 

口は災いのもと。余計なことは言わないほうがいい。

僕の立ち位置はどうなるのだ!?

昨日のブログ。あんなことを書く予定ではなかった。早朝、サイレンの音によってたたき起こされ、なぜだか「煮物を作ろう」と思い立って、早朝から煮物を作ったよという話を書くつもりだった。煮物が母の死に際の話へと変換された。

 

煮物は作っておいてよかった。僕にしては珍しく残業になってしまったからだ。作りおきのものがあると、遅くに帰宅しても、さっと食べることができるからよい。

 

残業そのものが嫌いなわけじゃなくて、食べる時間が遅くなることが僕は嫌いなのだ。

 

毎日のように日付が変わる直前まで仕事をしていたときなどは、予め食事を用意していた。昼休みに自転車を漕いでお気に入りのパン屋に行き、それを夜ご飯にする。残業を理由に毎日のようにお気に入りのパン屋に行けるのだから、それはそれで楽しかった。

 

そんなあの頃に一緒に仕事をしていた上司がまた再び、僕らのチームの上司になるという。この春に組織変更を行い、新組織を結成。その組織のリーダーが僕の前上司なのだ。

 

この上司は、わりと理不尽な形で僕らとは別の組織に異動させられた。僕らもこの上司のことは好きだったので、送別会のときはまるでお通夜のようだった。

 

この数年間、元上司は復活のときを虎視眈々と狙っていたのだろうと思う。元上司とはメル友(!?)、もとい社内メールで定期的に情報交換をしていた。そんな仲だ。だから、まさかの上司復活は嬉しかったりする。

 

でも、問題なのは僕の立ち位置。一年前に異動になったときには適切な部署がなかったので、僕のためにわざわざ組織を作ってくれた。○○本部(△△支店)のように。本部にはたくさん人がいるが、支部は僕ひとりだけ。新組織では都合上、支店を残すことができないらしい。

 

さて、どうするか?

 

実に悩ましい。この件は、まだ取締役会でも承認されていないらしく、極秘事項。それを元上司はローエーしてくれた。異動時期は多分、4月1日。それまでに僕の所属がどうあるべきかを考えなくてはいけない。少し多めにその考える時間をくれた元上司に少しだけ感謝します。

そんなものに僕の生き方を縛られたくない

「たたき起こされちゃったなぁ」

 

救急車のサイレンの音。もしくは消防車のサイレンの音。響き渡る朝の4時。

 

なにもこんな早朝にサイレンを鳴らさなくてもと思う。こんな早くから救急隊員は人のために仕事をしているんだなぁとも思う。人として思わなければいけなのは後者だ。

 

助ける人と助けられる人がいる。頑張っている人と困っている人がいる。こんなに朝早くから。

 

人が亡くなるのは早朝がいちばん多いと聞く。そういえば、僕の母親が亡くなったのも早朝だったなぁ。

 

「お前はうちに帰って少し休め」

 

今日か明日かと伝えられた母の様態。僕たち兄弟は病院でずっと見守っていた。眠くもなかったし、疲れもしなかった。

 

だけども兄弟は朝から仕事。僕は彼に無理せず休んでこいと伝えた。

 

そのわずか数時間後に母は息を引き取った。

 

僕はその瞬間に立ち会えた。兄弟は立ち会えなかった。それは今でも僕の後悔になっている。きっと兄弟も母の最後に立ち会いたかっただろう。

 

僕は仕事中の兄弟に伝えなければならなかった。

 

「母さん、ダメだったからね」

 

死んだという言葉を使いたくなかった。現実をそのまま伝えるのはいやだった。認めたくなかった。

 

そのあとのことは、あまり覚えていない。あまりにもバタバタとし過ぎていて。でも、それくらいがちょうどよかったんだと思う。悲しんでいる暇などないくらいの方が。

 

あれから何年経っただろう。

 

「新しい年の4年目がお母さんの次の法事です」

 

僕が引っ越す前にお寺さんにそう言われた。僕はご先祖様をお寺に預けてきた。

 

引っ越してきてから一度も里帰りはしていない。お墓参りもしていない。

 

預けてきたご先祖様とお墓。この先、どうすればいいものかと悩む。ご先祖さまはこのままお寺にお願いし、お墓は閉めてしまおうかと思っている。

 

そんなものに僕の生き方を縛られたくない。

 

冷たい考えの僕がいる。